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I am a Singer

娘の在り方はリアル。

娘が生まれたら

私は絶対その子のことを

かわいくて優しくて幸せな女の子だっていう目で見ていきたい。

 

 

と、産前のブログで書いた記憶があります。

そうわざわざ決意したいほど

私の目は悲劇を見つめるセンサーが

敏感になっていました。

 

 

 

さて

現実の娘はというと。

 

たとえば

生後5ヶ月から保育ママさんへの受託が始まり

それから約半年経ちましたが

 

ここでもし

毎朝お別れの時に泣いて泣いて、、、

 

とかね、そういうのがあれば

 

ああ、ごめんね(;ω;) 

心細い思いをさせてごめんね、、、

私がひとり親なばっかりに、、、

 

って

悲劇的な気持ちになれそうなものを

 

一度もなしです。

泣いてお別れ、一度もなし。

今では毎朝

ママさんとお友達の顔を見ると

にぱぁ〜〜と笑います。

遊びに来たよーー♡てな感じです。

 

お迎えも

にぱぁ〜〜と笑ってお出迎えしてくれます。

帰るのー?♡うふふー♡かあちゃーん♡♡て感じ。

 

悲劇のヒロインになるつもりの私は肩透かし。

 

 

ほかにもたとえば

 

泣いて泣いて泣き止まなくて

ずーっと抱っこしてる真夜中、、、

 

とか、そういうのがあればね

 

ああ、、、どうして泣き止まないの、、、

私って孤独、、、(;ω;)

 

って、悲劇の方へ転がっていけそうなのに

 

一度もなしです。

泣いて泣いて泣き止まないこと。

不満を訴える時は 

あーーー!

うぎーーー!

と、声を出すだけで伝わるので

泣くまでいかないし

寝つきも、寝起きもよし。

母ちゃん、朝までぐっすり!

 

とにかく

母ちゃんが悲劇のヒロインに浸ることは

娘を見ていると出来ません。

健全で幸せな気持ちにしか浸れません。

 

 

冒頭の、私の願いなんて

えなんのこと?という具合で

娘はもう本当に

どこからどう見ても

可愛くて好奇心旺盛で

なんでも楽しめる

逞しい女の子のようです。

 

ナチュラルに

在り方で見せつけられる娘のパワー。

母は、こんな娘と仲良くさせてもらえて

ありがたいです。

 

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選び続ける。何度でも。

理不尽に感じたり、もうどう解決したらいいのかわからないような出来事というのは起こる。

 

自分の中に生まれた感情に

自分自身が焼き尽くされそうになって

その感情の正当性を

頭の中で主張しているあいだ

苦しいのはなくならない。

 

だからといって

その正当性を言葉にして主張して

相手を言い負かしてやったとしても

やっぱり苦しいのはなくならないのだ。

 

誰の中にも

善意や優しい気持ちは必ずある。

その善意や優しい気持ちは、なにかのきっかけで出てこられなくなったりしてしまう。

自分を守るためや、自分の大事なものを守るために

誰かを傷つけてしまうこともある。

私も、そう。

 

本当に、本当にだれも悪くないんだということが腑に落ちてしまったら最後

どうしようもなく

感情は溶けていく。

苦しいのもなくなっていく。

 

苦しくない、というのは

私にとってそれが正解なんだと思う。

 

出来事は起こる。

それはお天気のようにカラフルに起こる。

私は、雨が降ると不快に感じるけど

娘のひかりは

ビニール傘を伝う雨粒を

飽きることなく食い入るように見ている。

 

出来事は起こる。

その度に

わき起こる感情にのまれた後で

自分の見方を選びたい。

 

在りたい心のあり方を

選ぶ勇気を持っていたい。

 

 

すべてのメロンに感謝。

お向かいさんのおばあちゃんは

ひとり暮らし。

 

少し耳が遠くて

お話がとびとびで

なかなか内容がわかりにくいけれど

顔を合わせると、挨拶をして少しお話もします。

 

 

ひかりのこともとても可愛がってくれていて

 

ある時

「このまえ、赤ちゃんの髪の毛について

不安になられているご様子だったから

家庭の医学で調べてみたら

数ヶ月すれば生えてくるって書いてありましたからね、心配なさらないでね」

 

大きなメロンを持ってきてくれました。

 

 

これ食べて、元気出して、って。

 

 

私はたぶん

話の流れで

髪の毛が少ない子で〜なんて

軽く言ったのだと思います。

覚えていないんですけど。

 

それを気にしてくれたんだなぁ。

 

 

私とひかりは

たくさんの人に見守られていて

いろんなところから

いろんなものを頂きます。

 

赤ちゃんというのは

こうやって

たくさんの目に見守られて

大きくなっていくんだな。

 

私もきっとこれまで

こうやって

 

 

メロンをもらってきたんだな。

 

 

だって、自分でメロン買った記憶ほとんどないけど

なんかいつも、あたりまえに気軽にメロン食べてきたもの。

 

親や、親戚や、近所の人が

いつも私にメロンくれてたんですよね。

 

すごいことですよね。

 

これまでの人生で与えられてきたすべてのメロンに

心から感謝します。

ボイストレーニングのおもしろさ。

仕事に復帰しました。

 

これまで、娘を預かってもらってひとりでどこかへ遊びに行っても全然つまんなかったのに

仕事は楽しいです笑

まじめです笑

遊び方のセンスを磨こう。

 

さて

ひさしぶりに人の声を聴いて思ったことは

 

やっぱり、わかりやすく体感することって大事だなってことです。

 

あーこれかも!って言う時の生徒さんがいちばん生き生きしてます。

 

生徒さん自身が「これかも!」って体感があった声は

ほぼ間違いなく聴き手の私も「そうそれ!」っていう声です。

 

体感できたら

理屈や仕組み知らなくてもいいし

知りたければそれはそれで面白いけれど

 

理屈や仕組みを知る面白さだけで終わってしまうのはもったいないですよね。

私もそうなりがちです。

 

体感した時の全身の気持ちよさは

言語で理解する気持ちよさを

軽々と超えます。

 

だから

あんまり先に仕組みをお伝えしないようにして

わかりやすく単純に声が出て

生徒さんが自分の声にワクワクするような

そんなレッスンができると嬉しくなります。

 

だってみんな良い声出るし

良い声出ると、良い顔になるんです。

一緒にいるこちらもワクワクする^^

できる、って喜び。

やるだけやって

 

相手の反応や物事の結果についてはノータッチでいる方が

とても健康的に過ごせます。

 

ストレス感じる時ってだいたい受け身側になってしまってる時。

 

あの人がああ言った

こうしてくれなかった

仕事で叱られた、とか

環境が思った通りにならない、とか。

 

まぁ多少がっかりはしますけど

そのあたりの事って、自分の操作できないところだから

 

操作できないところをいつまでも考えていてもどうにもこうにも、なので

 

さて、次は何しようかな

 

って考えた方がいいなぁって思いました。

 

やるだけやったし、っていうふうに

自分は“やった”ってとこにもっと重点を置いて

自分で評価してもいいよね。

 

特に楽しいことやる時だけじゃなくて

お茶飲むにしても、歯磨きするにしても

“私がこれをやろうと思ってやっている”って

意識を持つと

自己評価慣れしてきます^^

今日もできたことたくさんあった!って。

 

娘を見ていると、すごくよくわかる。

能動的であることって、喜びなのね。

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ずいぶん長い間、誰かに褒められたり評価されたりすることの方が喜ばしいことだって思っていました。

能動的であることの目的も、最終的には誰かから評価されるためだったり。

 

でも

誰かに褒められたり評価されたりするのも、結局受け身側なんだよね。

 

受け身側にいる時の喜びって儚いから

もっともっと、ってどんどん欲しくなっちゃう。

もらえないと不安にもなるし。

 

だから今は

 

できた!やれた!ってことを

喜んで

結果については

神様うまくやってね、ってお願いしといて

さぁ私は今何しようかなって

そういうサイクルが心地よいし

結果、神様はほんとにうまくやってくれます。

 

歌と言葉と人。

歌うことと、言葉と、人の想い。

 

私の心動かされる場面には

よくこの3つが揃っています。

 

誰でも持ってる、いちばんきれいな気持ちを

 

感じる瞬間かなと思います。

 

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これは感覚のお話ですが

 

いちばんきれいな気持ちの上には

いろんな色の気持ちが重なり合ってます。

(きれいな気持ちは、いちばん下になりやすい)

どれも本当の気持ちのような気がするけど

本当には、本当じゃなくて

意地を張ったり、見栄を張ったり

期待に応えようとしたり

いわゆる、空気を読んだり

そういうのから生まれた気持ち。

嘘の気持ちではないし

どれもこれも、愛おしい気持ちには変わりないけれど

いちばんきれいな気持ちを、ただシンプルに掬い上げられる時が、やっぱりいちばん、響きます。

 

きれいごとのようで

真面目すぎるようで

なんだかバカを見そうで

遠ざけたくなりますか??

 

私はなります 笑

なりました。

 

でも、外せないんですよねぇ。。。

 

心が動く瞬間に

生きててよかったーって思うから。

 

ああ、歌いたいなぁ。

 

不自由を選ぶ自由。

今の私の生活は、娘一色。

 

行きたいなと思ったところ(トイレとか!)に

自由に行けるわけでもないし

着たい服よりも、動きやすい服を選ぶし

娘は暑くないか、寒くないか

天気予報も見るようになりました。

 

だけど

自分が犠牲になっているとかいうのとは

なんだか、??の感じで

 

私は、母親してる自分が好きです。

 

もし“つらい”って

思いが湧くとしたら

それはきっと

 

↑上に書いたことを我慢してやってるから

 

で は な く て

 

“母親なんだから当然でしょ”

 

と、誰かに言われたりする時だなと思います。

 

やってる事は同じなのに

不思議ですね。

 

好きでやってることだけど

“母親なんだからそんなの当たり前”

と言われると腹が立つし

“じゃあやめれば”

と言われたら

そういうことじゃないんだ。

 

お母さん、って

いろんな気持ちになりながらやってるんだなぁ。

 

ううん 

これはきっとお母さんじゃなくても。

 

 

あぁ、私

ほんとよくがんばってるなぁ。

私のがんばりを

私はよく知っています。

 

それだけでよかったりする。

 

 

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ひかのファースト写真集が出来ました。

 

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この、最初のページのカットは

 

「ひか大好きだよ。

母ちゃんがんばるからね。」

 

という気持ちだったことを思い出します。

(この頃はまだ“ママ”だったかもしれない)