toi.toi.toi.

大切なことを、大切に。

母と映画。

母から

『映画を観に行きたいな』と

お誘いがありまして

いろいろ調べて

行ってきました。

 

私は、いつも映画館へ行く時、たいていひとりですが

母は、ひとりで行く習慣はないのです。

 

でも母にとって、映画館へ行くことは

身近な、大切な娯楽なんですって。

父と暮らしていた頃は、よく2人で観に行ってました。

 

父の代役で、母とデートです。

 

私は正直、どうしても観たい!という映画ではなかったけれど

おしゃれした母は、終始にこやかで

ごきげんで

そんな母を見ることが

私にとっての

今回のデートの目的なのでした。

 

 

親孝行、なんていうのは

たぶん子が生まれたと同時に

完了しているんだと思います。

 

 

産んで、生まれて、育てて、育てられて

家族になっていく者同士のご縁の間に

“恩返し”の単語は、なんとなくしっくりこなくて。

 

 

ただ、親が幸せそうに笑ってるのを見るのって

子も、やっぱり幸せだから

そのための、些細なやりとりが

すべて親孝行で

その親孝行はやっぱり

子の幸せのためにやらせてもらってると感じます。

 

 

 

結果、親も子も、気持ちを回し合う。

その回し合った気持ちが

ほんわかほんわかと、優しい空気を作る。

 

 

今日の、映画デートのように。

 

 

予告編を観ながら

『次はこれ来よう!』と言っていた母は

とても楽しそうで

かわいかったです。

 

 

また、調べておきます。 

ハローグッバイ。

数年にわたり、レッスンを担当していた生徒さんが

 

療養のため、やめていかれました。

 

とても博識な方で

レッスン中の話題はいつも多岐にわたって

 

よく

『上の話から、下の話まで

隈なくできますね 笑』

と言いあっていました。

カミカラシモマデ(*´∀`*♡

 

 

これから繭にこもる間

お休み、ではなくて

辞める、を選択すると

おっしゃっていたことに

大賛成しました。

 

気を散らさないで、自分の力を取り戻すことに集中してほしいから

お休み、だと

気が散るでしょうから

さよならしましょう、って

そう思いました。

 

 

生徒さんが最後に

 

『いつでもフラットで

どんなことにも偏見を持たずにいてくれて

本当に嬉しかった。

お会いできて

本当に本当によかった。

ありがとうございました。』

 

と言ってくれました。

とても嬉しくて

勲章をもらったような気持ちになったけれど

 

それは私こそ、でした。

この数年

私こそ

この台詞のまんま、です。

 

 

物理的な距離は離れてしまっても

ふと思い出した時に

いつでも繋がるんだろうな。

私の心を通して、彼女の存在に。

 

素晴らしく豊かな時間を

ありがとうございました。

 

 

またいつか、どこかで♪

です^^

 

 

 

ひとりごととは、自分が最も活用できる情報の宝庫。

“なんとなく、で、やってる人達といるより

自分はもっとバリバリやってる人と一緒にいた方がいいと思うんですよね。本当は”

 

“自分の強みをブランディング化していかないと”

 

“あ、こんな話、眠くなっちゃいますか?w”

 

 

という発言に 

ぼんやりした笑顔で

いいえー(^-^)

と、お返事しつつ

 

 

あぁ眠たい

あんたの話がバリっとしねーわ

ごちゃごちゃ言ってないで

とっととブランディング化でもなんでもして

ランディアで売ってこいバカやろう

 

 

思っていたので

 

“眠たい”部分だけが

なんとなく伝わったようでした

_:(´ཀ`」 ∠):

 

(あ、ブランディングとか

一緒にいる人を選ぶこととかを

否定しているのではありません^^)

 

 

 

自分から誰かを見て

なんとなく、の日常が繰り返されてるように見えるなら

その、まるで使いものにならない目を

まずどこかで売っぱらったらいいんじゃないかな

( ´ ▽ ` )安そうだけど

 

 

 

 多かれ少なかれ

『自分は、なんとなく、で、やってるんじゃないか』って

ひとり心の中で疑い、試行錯誤しながら

生きているのではないかなと思います。

 

各々のペースで。

ひとりひとり。

 

『自分は、なんとなく、で、やってるんじゃないか』って疑ったなら

それはもう、なんとなく、で

やってなんかいない。

その疑いをきっかけにして

自分を読み取ってそれに乗ってればいい。

周囲の人や環境が気になるなら

気になることに気づいて

ますます、自分のペースを読み取ることに全力で集中するだけ。 

 

 

周りにいる人がこうだから、とか

環境がこうだから、とか

もったいない。

自分を読んで乗れれば

どんな人からも、どんな環境からも

宝は得られて財産になる。

ちゃんと使える知的財産というやつです。

←ビジネスっぽくしてやったぜ

 

 

私はそういう部分での

欲が結構深い。

拾えるものは

ぜんぶ拾いたい。

だから、自分を読む目を磨きたい。

磨き続けてきたし、これからも磨いていく。

たぶん生きてるうちはずっと。

 

 

 

なんとなく、やってる人がいるとしたら

 

 

 

その、やっっすい目を疑いもせず使い続けてるうえに

使い方のセンスもない

お前だろ

 

 

 

っていうひとりごと。

( ´ ▽ ` )ぴしゃりです♡

 

言ってる自分の心の背筋が

しゃんとします♡

癒しに飽きたら。

歌声の変わり目です。

 

なんだろな、もっと

声張り上げたいんですよ。

 

でも

今まで張らないようにしてた反動で

張ろうとすると力んじゃうんです。

 

でもまぁ

最初はそんなもんだろうと思いながら

緩めてしまわずに、力みながらも

練習してると

 

超ヘタなんですよww

変な声出るしwww

 

ゔ ゔーーー

 

ってなるんですけど

 

ヘタすぎて可笑しくて

練習してて楽しいwww

 

中学生に戻ったみたいです。

 

いろんな人に助けてもらいながら練習してます。

教えて教えてーって

こんなのどうー?って

まわりに上手い人ばかりなもんで( ̄▽ ̄)

 

 

これか?

これか(*⁰▿⁰*)

 

って

バランス取れる時が増えてきたんですね。

 

なんとなくの、身体の感じとしては

 

 

張る、って

力、入れるんでしょ?って

思ってたんですけど

 

 

でもなんか

思ってたのと違いました。

むしろ

でしか支えない。

 

 

てん♪(*⁰▿⁰*)

(擬音です)

 

 

って感じでした。

当社比です。

 

もっともっともっともっと

どうにかしようとしなくていい。

 

歌いながら

頭の中でそう言ってました。

 

大きく見せなくていい。

強く見せなくていい。

負けちゃっていい。

もっと適当で。

もっと大胆で。

もっと流れで。

 

 

息も声も

支える感覚より

支えられてる感覚。

 

 

 

 

まだヘタなんですけどwww

味はある( ̄▽ ̄)

一応もうちょい

上手くなる予定ですwww

 

 

身体と仲良く遊ぶのは

やっぱりすごく楽しーい♪

 

 

もっともっと筋肉柔らかくしよー♪

もっともっと歌うー♪

(*⁰▿⁰*) 

 

焦る時。

あれもやらなきゃ

これもやらなきゃ

あれもできてない

これもできてない

 

 

そんなふうに焦る時、あります。

 

 

でももしそのまま

焦りにまかせていろいろやっても

たぶん

 

あぁできた。よかった。手に入った。

には

ならないんじゃないかと思います。

 

 

 

なんのために手に入れたいのか、と

考えたら

 

それを手に入れて

その手に入れたものを味わうためですから

 

じゃあ

味わうところまで、ちゃんとやろう。

むしろそれが、メインです。

 

そうするとそれは本当に

自分の身になっていく。

 

 

新しいものを欲しがる前に

今、手にしているものを

もっと意識して、味わいたい。

 

 

手にしてるもの

できてること

たくさんあるよ。

 

 

私は

欲しいと願う時間より

味わう時間を長くしたい。

よかったな、嬉しいな、

これ好きだな、感動したな

あの時これ欲しいって私が望んだんだよな、

望んだ私、最高だな(*⁰▿⁰*)うぇーい♡

ありがたいな

ありがたいな

幸せだな

 

 

って

味わう。

 

 

それが、本望です。

 

 

焦ってるだけでなにも進まないときは

ちょっと止まって

手に入れたものをちゃんと見て味わう。

過去の自分が手に入れてきた、今この手の中にあるものを。

 

 

 

そのあとで

『あれ欲しい・やりたい』

が出てきたら

じゃあどうしたら手に入るかしら?と

自分と相談する。

やらせてあげる時間をとる。

 

すると

焦りとは関係なく、具体的な行動の一歩がすんなり計画できるのですよね。

 

どうせできない、って拗ねる時は

まだ、手に入れたものを味わう時間が足りてないだけ。

 

もっと言うと

『どうせ新しいもの手に入れたって、味わってくれないんでしょ』って

自分に言われてるだけ。

 

 

 

 

みんな頑張りやさん。

それは私も^^

 

 

このところ

心臓がいつもと違う感じで動くので

 

いつものんびりペースですが

身体に合わせてさらにさらに

のんびりしようと思います。

 

 

ペースダウンは、実はとても勇気がいるけど

波乗りの基本ですよね^^

 

 

…サーフィンやったことないですけど

(*⁰▿⁰*)

 

ろくでなしブルース。

努力の才能はないので

 

そこは放棄して生きてるんですけれど

 

その結果

 

努力して与えようとしていなくても

私から漏れ出たなにかを

自動的に受け取ってくれる人が

たくさんいることに気がつきます。

 

すごいなぁと思います。

 

こちらから働きかけなくても

ただ居て、しゃべったりしてるだけで

受け取る人は、なにか受け取ってる。

 

そしてさらに気づいたことは

 

その流れで、受け取った人から感謝されると

結構、居心地が悪いということです 笑

 

いや感謝はまだ大丈夫だな。

《賞賛》の方が居心地が悪い。

 

謎の

不安感というか

罪悪感?なんでしょうかね。

 

なんにもしてないのに

何かをもらう、って

やっぱり居心地悪いんですね。

大人というのは。

いや、小学生くらいからそうだったかな。

 

でもね

 

なんにもしてなくないんですよね。

ほんとうは。

なんかしてるんですよ。

知らないうちに。

もっと言ってしまえば

いるだけで、なんかしてる。

二酸化炭素、空気中に吐き出してますしね。

他にも色々出してるんでしょう。

文字通り、空気を変えてますもんね 笑

 

なんにもしてないのに、っていうのは

【“私が”やった感】がないというだけ。

 

 

【“私が”やった感】=

努力だったり苦労だったり

費やした時間だったり

かけたお金だったり。

 

かな。

 

この【“私”がやった感】なしで

なにかをもらうのって

やっぱり

ろくでなしっぽくて嫌なんですよね。

 

 

でも

 

 

「【“私が”やった感】が欲しい」

という気持ちを手放して

腹をくくって、ろくでなしになってみると

ひきかえに

本当に

感謝の感覚と

人の優しさや凄さ

才能や器の大きさなどなどを実感します。

感動すらします。

 

だから

 

謎の不安感や罪悪感に

目をくらまされてる場合ではないな

と思うのです。

 

そんなことに拘っていたら

感動も薄れるうえに

受け取ってくれる人の邪魔をしてしまいますしね。

 

また

 

なにかしたい、という気持ちも

とても自然で優しいものだとも思うのです。

 

なにかする時は、できれば

自分の不安感や罪悪感を消すためじゃなくて

 

なにかしたい、で動きたいと思うのです。

 

境目が溶けていく。

プロとアマチュア

教える側と教わる側

仕事と遊び

友人と初対面の人

 

 

いろいろな境目が、どんどん溶けていきます。

 

 

それは

 

 

出来る自分と出来ない自分

考える自分と浅はかな自分

明るい自分と暗い自分

 

などなどの、自分の内側の境目が溶けていくにつれ

起きてきたような感覚です。

 

区切っていたところを緩めたら

はみだしてくるんで

はみだしてきた(出来なくて、浅はかで、暗くて...and more(´・ω・`))自分も

いいよいいよ

しょうがないな

お前もか!

と入れてあげるんです。

 

 

区切りが緩くなると

《これは大事!》《これは私の!》

って、無意識に自分の持ち物だと思ってたもの(考え方とか)も

あらあらって、出てっちゃう。

 

これもなかなか衝撃で静かな体験でした。

これ握りしめてた握力、結構使ってたなってわかる。

手を離さないとわからない。

 

いや

そもそも持ってる意識すらないから

手を離すっていう選択もない。

離してみて気づく

『手だと思ってた』

という感じ。

持ってる内に同化してしまうんですね。

 

緩まってると、それに気づいて離すのが

わりとスムーズでした。

離した瞬間、安心に変わる。

心の握力解放。

 

 

緩むと、いろいろ入ってもくるんですけど

外から嫌なものが入ってくる、ってことはなくて

そういう時って

入ってきたものに抵抗して心が力んでて苦しい、というだけなので

抵抗しないで

 

 

入れちゃう。

(反応はします)

 

 

で、抵抗してないと、そのうち

なんかいい感じになるか

なんか、さーっと流れて見えなくなっちゃう。

 

 

 

そもそも

どれだけ絶望的に嫌な自分も

入れてあげてると

それ以上に嫌なものなんて

外から入ってくるものの中には

実際に、ないです。

 

 

そうして

 

 

自然と

いろんな境目が溶けてきました。

 

 

 

区切っていた頃に漠然と想像していたこわさ(大事なものが脅かされる感じとか

自分が灰になってしまいそうな感じとか)

ほんとにただの想像でしかなくて

 

 

想像もしていなかった優しさや

ものすごく恵まれているということを

この身を以て

細かくて柔らかい、あったかいシャワーを浴びるように

体感しています。

 

 

 

他との境目は

この、物理的に触れる身体。

 

 

身体も、やわらかくしてしまうと

溶けちゃうんですけど

区切りはあります。あると思えます。

区切りがあるから体験できることたくさんあるし、とてもおもしろくて、嬉しい。

 

 

区切りを超えて出入り超自由、が今のところ快適かなぁ。

 

 

生きてるうちは、区切りあるんだろうなぁ。

どうなんだろう。

生きてるうちになくなったら、どんな体感なんだろう。

未知ですね。

 

 

知らないことが、たくさんある。

きっと、知らないことすら気づかないことが、もっとある。

と思うと

浮かれますね^^