toi.toi.toi.

I am a Singer

理由付けなんて 趣味もしくはヒマつぶし。

何かや誰かを

好き・嫌い と 感じるとき

 

【何故なのか】っていう

 

 

その理由は

 

 

あってもなくても

 

 

まじで超絶どっちでもいい。

 嫌いなもんは嫌いなんじゃうるさいばか。

 

 

と思いました。

(これは私から私への言葉です笑

頭で理由出そうとしたら、速攻この答えが返ってきました笑) 

 

 

どちらかというと

そういうの頭で考えて

論理的に整理するの得意だったし 

よくやってたけれど

 

もう今は

 

楽しい・かわいい・かっこいい・美しい・いい匂い・面白い・居心地がいい・私のこと好きって言ってくれる=好き

 

 

つまんない・飽きた・好みじゃない・くさい・居心地よくない・つまんない(2回言ってる)・私のこと好きそうじゃない=嫌い

 

だ。

 

シンプル。

 

 

 

逆に理由付けしたい時って

なんていうかこう

好きな気持ちや嫌いな気持ちを正当化したかったりとか

頭で分析して理解して

心を落ち着かせたいんだろうな。

でも大抵頭の中で

よけいグチャグチャしちゃって

温度が上がってきちゃうんだけどね。

 

そしておもしろいことに

何故なのかを頭で理由確定しないほど

好きも嫌いも感覚がぼやけるんですよ。

 

 

 

 

今は好きだけどいつか嫌いになるかもしれなーい。

 

とか

 

今は嫌いだけどいつかなんか好きになるかもしれないなー。

 

と、思うのです。

そのくらい移ろうもの。移ろっていいもの。

それはもうふらふらと。ゆるゆるに。

 

 

 

 

 

 

で、さらにさらに

 

 

好きだから良し

嫌いだから悪し

 

 

ということでもないのです。

 

ほらだって

 

今は好きだけどいつか嫌いになるかもしれなーい。

とか

今は嫌いだけどいつか好きになるかもしれないなー。

 

だもの。

不確定性満載。

 

好きだけど、嫌いになる要素も含んでるし

嫌いだけど、好きになる要素も含んでる。

そりゃもう簡単に軽やかになんの覚悟もいらない。

 

ここまで書いて頭に浮かんだ

 

陰陽マーク。

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おお。まとまった。

 

 

ということで

 

 

今日は実に

気分のよい1日でした♡

 

wkwk.

変化 が

とてもとても好きなんだ、と

つい2日くらい前に

はっ!と気がつきました。

 

 

ていうか

 

 

なんで

気がつかなかったんだ!!!!

( ゚д゚)!!!

 

 

と思ったよ。

本心に気づくと必ずこう思います。

なんで気がつかなかったんだ。。。

 

新しく手に入れた考えや感覚じゃなくて

 

そうだったし。。

あったじゃんそこに。。。

みたいな感覚です。

 

離れ目なのに視野が狭いよ。。。

 

 

 

離れ目なのに‥‥

 

 

‥‥‥離れ目だからなの?

 

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ていうか

たぶんみんなそうですよね。

 

 

いや離れ目のことじゃなくて。

 

 

本当は

変化がとてもとても好き。

変化することが自然。

 

ただ、こわい だけ。

なにが?

それはほんとうに

いろいろいろいろだけど

 

 

 私の こわい は

私のペースで

じわじわと剥がれてきて

こわい っていう

実態のないものを

超えてみて

泣いて落ち込んで悶えてみて

結局、それが済めばなんともなくてw

それと引き換えに

知らなかった世界を見る、自分だけのとんでもない楽しさを知ってきたから

 

 

こわい で 気づけなかった芯に

ようやく気づけたんだな。

 

 

何かを変えたい、 私を変えたい、とかそういうことじゃなくて。

むしろ変えなくてよくなり

 

変えなくてよくなると

自動的に自然に変わっていくんだ。

 

 

無理に変えない だけで

勝手に変わる。

すとん と。

 

 

歌と おなじなのか。

 

drop of water.

その人を避ける時

その人から遠ざかろうとする時

 

置き去りにするのは

自分自身。

 

その人といる時の自分が嫌で

その人といる時の自分を避けたくて

見たくなくて感じたくなくて

 

 

まとめて置き去りにして遠ざかる。

 

 

それだけのこと。

ほんとうにそれだけのことだ。

 

 

誰から遠ざからなくても

ただ

どんな自分も

抱きしめてしまえばいいだけだ。

 

 

そして

 

 

遠ざかったっていいのだ。

振りきってみたっていいのだ。

そうしなければいられないときは。

 

 

いつか

準備ができたら

嫌って置き去りにした自分を

迎えにいけるかもしれない。

 

 

その時は両手を広げて

思いきり

抱きしめられるから。

 

 

迎えにきたよ。いつかの私。

って

抱きしめられるから。

 

 

この再会も見据えて

自分で仕掛けていたのかと

思うほどに。 

 

 

この世界は優しくて優しくて

優しい。

 

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ふいに、遠い記憶にたどりつく。

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この写真をネットで見たときの衝撃。

 

正面に、ボートを漕ぐ熊と

ギーッ、ギーッ っていう音と

風の音だけがしていて

しんとしていて

月の真ん前を通り過ぎる。

 

不思議すぎる光景なのに

たしかに憶えているのです。

 

 

どどどど

どういうことだ。

 

。。。おもしろすぎる。

 

 

と、思いながら

時々脳内で熊との思い出に浸っていたら

こんな写真集まで見つけてしまった。

 

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静かに、でも

めちゃくちゃに

びっくりした。

心臓が

不規則に鳴った。

そして 

どうしてだか

嗚咽するほど

涙が出るのです!!!!!

 

悲しくもなく嬉しくもなく

なんかよくわからないのに

この写真を見つめると

涙が。だーーー。

もうわけわかんない、と

当然だ、が

脳内を駆け巡る。

 

 

そんな覚えはないけれど

なにかの映画の記憶なのか

なにかの本の印象なのか

 

 

そう考えることもできるけど

 

 

ここはせっかくだから

 

 

この懐かしさは

いつかの記憶。

 

思い出の品は

そこかしこに仕掛けられていて

私はいちいち驚いて

ファンタジーをおもしろがって

実は少しさみしく

時折

いつかの記憶にダイブする。

 

 

 

母とおじや。

母が風邪をひき寝込んでいました。

 

食欲がないけど薬を飲むから

何かをお腹に入れたいとのことで

 

卵おじやのリクエストをいただきました。

ウィムッシュ!

 

昆布とかつおでひいたお出汁に

お冷ごはんと、お塩、お醤油。

洗い物しながら良い感じに煮詰まってきたところで

味見をひとくち。

。。私の細胞がうまい!と喜んでいる。。。!

 

溶き卵を回し入れたらすぐに蓋をして蒸らし

程よく卵が固まったら軽く混ぜて

お椀に盛りつけ完成です。

 

食欲がない、と言っていた母は

お鍋いっぱいのおじやをお代わりして完食していました。

 

そうでしょうそうでしょう。

あのおじや美味しかったもんね。

わかるわかる。

元気になるでー母ちゃん!

 

料理は昔から大好きです。

料理は理科です。

砂糖は分子が大きいから先に入れないと味が入らない、なんて萌えるw

 

プラス、楽しく作るエネルギーの注入で

美味しくなります。

だから、料理をする時は

なるべくご機嫌でつくるようにしています。

 

あぁー

料理をしたいーーー

作ってほしい人、一緒に作るの楽しいよね!って人

誰かいませんかー(о´∀`о)

馳せ参じますよー☆

本音は無防備。

ひどい!

裏切りだ!

失礼だ!

あんなこと言うなんて信じられない!

 

そう感じるたび

(あんまりないですけど)

同時に私は

ものすごく人間が好きなんだな、と感じます。

 

人間が好きなのに

思っているのに

 

ひどいことをされたり

裏切られたり

失礼なことをされたり

(ような気が)するから

 

悲しくて怒って

“もう知らないあんな人!”

“ありえないあんな人!”

なんてことになる。

 

“常識としてありえない!”なんて

もっともらしい理由をつけたりしてね。

 

 

ひどいことや

裏切りや

失礼なことをされた

(ような気がした)からって

相手に対して批判的になる時は

 

 

人間が好きで

いつも誰かしらを思っていて

期待していて信じていて

受け入れたくて

受け入れてほしくて

でもそれが叶わない

(ような気がした)から

 

 

悲しくなって怒ってるんだな私は。

 

 

って思います。

 

 

恋人とか家族とか友人といったような

近しい間柄じゃなくても

 

どんな関係性の相手でも

根本の思いって同じ。

 

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本音、って無防備だから

恥ずかしいのか

いたたまれないのか

出したら負け、って

いつからついたイメージなのか。

もっともらしい理由の上塗りで

わからなくなってしまいやすいですけど

 

 

怒りも批判も

それは本音に気づくための

きっかけにすぎないな、と

思うのです。

 

 

自分の本音って、自分で見つけた時に

なにかがほどけて安心するから

すぐわかります。

 

なにかがほどけて安心したら

それでおしまいです。

 

そしてそれに気づいてからは

ますます

人間が好きになりました。

 

 

誰が誰の愚痴を言ってても

誰かへのどんな批判も

ラブミーアイラブユーにしか聞こえん!!

 

深海魚が見る世界。

感性が豊か。

 

気恥ずかしい言葉です。

最初に言われたのはたぶん

両親と

小学4年の担任の先生からだったように

記憶しています。

 

感性の意味は、辞書で引いても

よくわかりませんでした。

ただなんとなく

“扱いづらいやつ”っていうことなのかな、と

肌で感じていた気がします。

 

 

 

今の私なりの感性の解釈は

 

【あらゆることに対しての、自分の感想】

 

なのではないかと思います。

 

感想=自分が感じた、自分の想い。

 

自分の周りを取り囲む

見たことや聴いたことや

体験しているものごとに

どれだけ気づくか

↑感じる部分ですね。

 

それから、それらに

どれだけ感情が動くか・感動するか

想いを馳せるか

↑想う部分ですね。

 

ざっくり言うと

この2種類が掛け合わさって

その人の感性が構築されている。

掛け算式なイメージ。

 

《感》も《想》も少ない、とか

《感》が多くても《想》は少なめ、とか

それは個性ですよね。

 

 

《感》も《想》もいっぱいで

その種類も多様であるほど

感性が豊か、というんじゃないかな。

 

 

 私は

《感》も多めですが

どちらかというと《想》のが多いかな。

少しの《感》でも《想》がどんどん湧き上がる。

良し悪しではなく

そういう特徴、ってことです。

 

 

いわゆる“感性を磨く”とは

《感》も《想》も、とにかく使おうぜ

ってことだから

磨きたいのであれば

あらゆることに

自分の感想を述べてみたらいいのでしょうね。

飾らず、見栄を張らず、恥ずかしがらず。

心の中の

ふるふるしてるような場所を自分に晒す。

 

あぁそっか。

だから、誰にも見せない日記とかオススメなんだな。

 

 

なるほどね。合点。