toi.toi.toi.

I am a Singer

妄想のお作法。

私は昔から妄想人間です。

 

 

メジャーデビューも

結婚も

妄想で

叶えたと思います。

(叶えてから手放しちゃうという

真性の変態でした。)

 

 

それはみんなそうですよね。

 

 

でね

 

 

子供のころに比べて

大人になってから妄想力鈍るなーと感じていて。

すごく不思議で。

 

なんでなんだろ?

あの素晴らしく恍惚とした趣味を復活させたい。。。

と思っていたのですが

 

 

 

ふと、理由がわかりました。

私なりの。

 

 

 

 

あのね、現状に大きな不満を持ってると

妄想力が鈍ります。

なぜなら

妄想すればするほど

現状の自分を、みじめに感じるからです。

脳というのはそれを

なんとしても回避します。

あの手この手で回避するんです。

 

 

この、みじめさを感じたくなくて回避する感じというのは

たとえて言うなら
毎月の借金の返済額とか残額とかを
ちゃんと見ないのと同じ感じでしょうか。

あるいは

環境や誰かのせいにする感じでしょうか。

 

現状を、見ない。見られない。

自分が選択してきた人生を、見ない。見られない。

 

(ちなみに、ここを見ないようにすることは

自分に優しくないですね。

なかったことにされてるし。)

 

 

というわけで

妄想の趣味を楽しむにあたって

現状の自分を否定したままだと

未来の妄想を全力で楽しめません。

 

 

なので解決策としては

 

 

①現状をまるっとさくっと

『はい今この現状が私の全力です。』

認めてしまう。

(事実ですし)

 

②みじめさが致命傷にならない程度に

『まぁでも、ここはイケてるんじゃない?』の部分を現状に見つけて増やしていく。

(致命傷っていっても

そもそも死に至る痛みではないんですけどね笑笑)

 

 

 ①でも②でも

いろいろ端折りますが

言い訳したり

『でもこっちの方が結果、良かったし?』

『あっちでうまくいっても全然嬉しくないし?』のような

すっぱい葡萄のキツネにならないように。

(これも脳の回避能力のひとつですよね。。。あぁ。。。)

 

 

 

そこがクリアになればなるほど

そのあとは

いろんな妄想を、いきいきと

本当に楽しい趣味として

日常に取り入れられることでしょう。

 

 

 

またまた端折りますが

“感謝しましょう”とかいう先人の教えは

こういうことか、と感じました。

①でも②でも、やってると

自然に、感謝は湧いてきます。

 

でも“感謝しましょう”じゃ

わかりにくかったよー。

まぁ、ほんとはわかる必要すら

なかった気がします 笑笑

 

 

 

趣味悠々

ご興味のある方は是非✨

 

 

 

以上です。

 

 

 

 

『かわいいね!』が、あればいいのに。

たまに

 

“仕事でもなんでも

スマートに出来そうですよね!”コメントを

いただくことがあります。

 

しかも

どうやら本気で言ってるんです。

 

 

それを本気で言う人って

 

 

そうとう不器用(って自分のこと思ってて)で

空気読んだりとか

実はニガテだし向いてないのに

一生懸命やってて

(でもあんまりうまくできてなかったり)

なんか

 

なにかしら

本来は自分に向いてないことを

 

すごく見つけて

すごく恥じて

 普段から

すごくすっっっごーーーく

がんばっちゃってるのかな?

 

 

と、思う今日このごろ。

 

 

私レベルを

《なんでも出来そう》と

本気で思ってるのなら

きっとね。

 

いや絶対ね。

正気を疑うよね←

 

のんびりしようぜー!

 

ガツガツでもいいよー!

 

 

人っていうのはなぜか

自分の魅力を蔑ろにして

 

他の人と比べて

 

できてないところを見つける生き物ですよね。

私もそうです。

意味のわからない反省を、よくしてます。

それはもう反射的に自然に瞬間的に。

気づくので、やめますけど。

 

脳内で吉田が

『どうかしてるぜ!』って言ってくれるので

それで終わりです。

 

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こんなに毎日よくやってるのに

そこは見ないなんて

自分がかわいそうですよね。

 

ほんと毎日、よくやってますよね。

私たち。

 

 

あと

言っておきますが

私は

『かわいいね!』が

もらっていちばん嬉しい言葉です。

 

 

 

春が苦手なのは

お別れが増えるからです。

 

お別れは寂しいです。

私は本当に、寂しがりなので

本当に寂しいです。

 

普通にしているように見えて

(見えてないかもだけど)

心の中では

さみしいさみしいと泣いてる自分を

なぐさめています。

 

とはいえ

別れが悪いものではないし

新しい門出というのは

そういうものなのだということを

いいかげん知ってはいます。

さみしくたって引き止めたりはしません。

 

 

さみしい気持ちは

さみしいままで。

 

あぁ、好きだったんだなぁ

(気づかなかったよぅ)

 

しみじみするだけ。

 

好きな人がたくさんいる世界に

住んでいるからね。

 

 

好きな気持ちとさみしい気持ちを

一緒に

お別れです。

 

 

嗚呼

さみしい

。゚(゚´Д`゚)゚。

 

企業秘密的レッスンの話

ボイストレーナーとしては

 

やっぱりこう

 

上手くなってほしい!という思いもあります。

 

素敵な声に鼓膜震わせたいから。

(私が←)

 

 

 

でもこの仕事で本当に大事にしてるのは

小さなブースの空間で

どんな時間を過ごすのかということ。

 

 

 

担当している生徒さんたちは

ありがたいことに

長く継続してくれる方たちが多くて

 

ほんとみんな優しいなーありがとー

レッスン楽しいねー

今月も会えて嬉しいー

(о´∀`о)

 

という思いで

やっています。

文字にすると

あほっぽいwww

 

 

そして

 

 

よーくよーく考えてみると

ちょこっと不思議なことが起きているのです。

 

たとえば

私のレッスン始める前は

・彼氏できたことない

・何年も彼氏がいない

・彼氏と別れたばかり

という状況で

“どよーん”だった

3人の生徒さんたちがいたのですけれど

 

それが

 

・その半年後に彼氏ができて一年後に結婚。

・その一週間後に彼氏ができて、彼の仕事を手伝うことになり引越し。

・トントン拍子に彼氏ができて来年結婚予定。

 

とか

 

また別の生徒さんで

音楽の専門学校ではさんざんけなされていたのに

私と一緒にレッスンしていく中で

自分の世界観に自信を持つようになって

結果、その部分を専門学校でもすごく誉められるようになって、嘘みたい!!

 

とか

 

カラオケで歌ったら

聴いてる人がみんな

感動して泣くようになっちゃった!

 

とか

 

書き出すとキリがないのですけど

 

 

技術的に歌が上手くなるという結果というより

 

 

なんかよくわからないけど

幸せ体験が増えてくるという結果を

本当によく報告されるのです。

 

あれ?

《歌のレッスンを通じて、あなたの魅力が全開に!》的な?w

(о´∀`о)

 

まぁね

歌を習うとか何かに夢中になったりすることで

キラキラしてきちゃうよね✨

私とのレッスン楽しいしw

ストレスもなくなっていくし

より一層キラキラしてきちゃうよね✨

 

それにね

 

私はレッスン中、向き合う生徒さんのことを

かなり好きになるのです。

 

これね

せっかく来てくれてるんだから

とか

そういうことじゃなくてね

 

もっとプライベートな素の私が

その人を好きになっているということです。

 

男女問わず

好き♡が目から出てると思うw

魅力的なとこを見てしまう。

同時多発片想いw

 

人から好かれるのってさ

それだけでパワーになって

キラキラしちゃうよね✨

 

私も好かれたいんだけど 笑笑

でも実は

好きになる方が断然楽しいよね。

 

 

理由なんてなんでもいいんだけど

 

 

ただただ、嬉しいよね

(о´∀`о)

 

 

みんな幸せがいいね〜✨

 

 

素敵は常に補充しておきたいもの。

文字でも映像でも

 

画面でなんでも済む世の中で

 

スカイプミーティングで事足りる』

なんて便利な世の中で

 

 

人と会う、というのは

それだけ

 

相対した時の

眼差しや間合い

色も音も味も温度もある空気 

そういうものに

さわりたいからです。

 

実際あとあとまで思い出すほど

自分の身体が記憶するのはそういうものだし

目先の損得は頭ではわからなくても

身体が覚えてくれる気がします。

 

(私は私の脳をほんとに信用していない。

ごめんね脳。

がんばってくれてるのは知ってる。

それだけでじゅうぶん。)

 

たくさんの人に会って向かい合うことが好きなのは

気持ちがいいからです。

ひらいて、だして、うけとって、だす。

なにを?なにかを。

ああ気持ちいい。

 

ひらいて、だして、うけとって、だすをしていると

ずっきーん!と来ることもあるけれど

繰り返してると、たいしたことがなくなってくる。いわゆる、慣れる。

もしくは拡がる。

 

会いにきてくれる人には

なにかしらの

“素敵”を持って帰ってもらいたいなぁ。

ねがわくば。

 

感じた“素敵”は

その人の血肉になって

さらに“素敵”を放つよね。

素敵な人を見ると

この人はたくさんの“きゃーステキ!”を見て感じてきたんだろうなぁと思う。

 

そしてそういう人は周囲の人に知らず知らず振りまいて

素敵を拡散していく。

 

私は“素敵”の身体感覚が好きなので

人の素敵な部分をよく見る。

私の血肉にすべく

取り込んでいるのだと思う。

 

拗ねて取り込まないのはもったいないので

嫉妬しても取り込む。

ていうか、嫉妬することほど

むしろ凝視する。

それほどに欲しい“素敵”なのだから。

 

回せるといいなぁ。素敵を。

回せるだけの素敵を集めよう。

 

最高に幸せを感じるときは。

朝焼けを見る

夕焼けを見る

雲を見る

月を見る

逆立ちをする

朝ごはんにパンを食べる

家の中で猫たちとすれ違う

母が笑う

 

ともに時を過ごす人と

くだらない話でゲラゲラ笑って

 

本当の心で話をしたり

なんかうまく話せなかったり

 

スマホには好きな音楽が入っていて

身につけているものはお気に入りで

 

歌の練習はなかなかうまくいかなくて

なかなか仕上がらなくて

また明日もやろうと思ったり

 

もう会えなくなった人を思い出したり

これから出会う出来事に思いを馳せたり

 

これまで私に起きた出来事や出会った人

好きだった人も嫌いだった人も

好いてくれた人も嫌われちゃった人も

 

良かったことも悪かったことも

うまくいったことも

後悔まみれのことも

 

どれもこれもみんな大切で

感謝しかわいてこない夜。

 

 

ビジョンシートには書けなかった

私が最高に幸せを感じる時を

 

書いてみました☺︎

ちゃんちゃん☺︎

 

 

ボーナスステージ。

小学生の頃からの習いごとは

お習字、新体操、公文、水泳、ピアノ、、、だったかな?

あ!あとスキーもだ。

やらせてもらっていて

 

それは全て、母親が決めてきたものばかりだったのですが

 

初めて

『歌を習いたい』と、母にお願いしたのが

中学一年の時でした。

 

ヤマハ音楽教室のパンフレットを自分でもらってきて

ピアノの代わりに歌をやりたい、と

勇気を出してお願いしたのです。

 

我が家はね、音楽聴く人いない家だったんです。本を読む家族でした。

 

とりあえず、歌を習うことの許可は得ましたが

特に母は

「歌なんて歌ってどうするの?

なにになるの?」というスタンス。

 

それは私が専門学校へ進んでも

CDデビューしても

 

母として、娘の応援はしてくれていましたが

「歌ねぇ。。。お母さん、わかんないわぁ」は

相変わらずでした。

 

歌いたいと思う気持ちを

どうしてなのか、なんて説明できなくて。

ただただ胸を焼き焦がすような、あの感覚を

伝えることはできなくて。

 

反対されたわけではなかったけれど

なんとなく寂しい気持ちでした。

そしてその寂しい気持ちは

あたりまえになっていって

寂しい気持ちなんて

なかったかのように忘れてしまって

普通のことになりました。

 

私の歌のことは、誰も触れない。

話題に上らない。

それが普通。

 

 

 

それが

つい先日。

 

 

洗面台の鏡ごしに

母と、なにげなく

姪っ子めいちゃん(3歳)の話をしていて

 

私が

 

「めいは、なにか習いごとするのかなぁ。

バレエとかピアノとか

女の子らしいの好きそうだよね」

 

 

と、言ったら

 

 

母は

笑顔で

 

「歌もいいじゃない」と言ったのです。

 

持ったまま固まった右手のドライヤーの温風が

私の髪を吹き上げました。

 

 

あれほど

歌なんて歌ってどうするのか

歌って、なにになるのか

 

と言っていた母が

 

私を見ながら楽しそうに笑って

「歌もいいじゃない」って 

 

言ったのです。

 

私はドライヤーの向きを変えながら

すぐに「そうだねぇ。」と応えましたが

 

心の中では

リフレインが叫んでました。

 

 

 

『歌もいいじゃない』

 

 

 

なんかね、なんていうかね

 

本当に本当に、嬉しかった。

 

言葉にできないほど

嬉しかったのです。

こんな日が来るなんて想像もしていなかった。

普通になっていた寂しさは

その瞬間に

くっきりと浮かび上がって

次の瞬間に

はらはら流れていきました。

 

きっと母はずっと

歌の話をしたかったかもしれない、と

本当は思います。

ほんのちょっとした寂しさや恥ずかしさを

意地で囲って蓋をしたのは

幼い私だったかもしれません。

 

でもまぁ

若き日の母も

意地っ張りで、聞き下手でしたしね。

おあいこです。

 

 

近頃の母との暮らしは

まるでボーナスステージのようです。