toi.toi.toi.

I am a Singer

今やっていることを、好きになる。

“好きなことを仕事にする”

“好きなことをやる”

 

って、いいですよね。

 

でも

 

“今やってる仕事を好きになる”

“今やってることを好きになる”

 

というのも、私はしっくりきます。

 

今目の前にあることは

これまでの自分が

その時、良かれと思って

積み重ねてきた選択の結果で

 

その結果

巡り会った環境と、人なのだと

思うので

 

好きなポイント、必ずあるでしょ?

認めたくないようなポイントだったりするかもしれないけど

誰にも言わなくても(言えなくても)

自分でわかってる

好きなポイント。

あ、打算もカウントして。

 

 

“今やってる仕事を好きになる”

“今やってることを好きになる”

 

 

というのは

私にはとても自然で

力強く感じます。

 

 

夏が終わりそうなこの季節に

そんなことを思いました。

 

 

以上です。

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軽くなるなら。少しでも。

誰かと対話している時に

いちばん湧きやすい思いは

 

“この人が少しでも

気楽になるといいなぁ”です。

 

 

仕事だから、とは割り切れない、一期一会の精神で思いを込める癖は相変わらず。

不器用なので仕方ないですね。

 

 

でも

 

 

『気楽になるようにしてあげたい、って

思わないようにしよう』って

思う自分もいました。

 

だってみんな自力で

そうできる力があるから。

私が、自分の“やってあげたい”欲

(承認欲求に近いのかな?)で

どうこうするようなことじゃない、って。

 

 

その大前提は変わらないんです。

みんな自力でそうなれる力が

絶対にあるってこと。

 

 

でも

さらに

 

 

私が気楽にしてあげたいって思ってもいいや、って思いました。

 

 

私が、私に

そう思っちゃってもいいんじゃない?って

言ってあげた感じです。

 

 

みんな自力でそうできる力がある。

それを知っている自分もいつつ

 

 

あなたにその力があることを思い出してって伝えたくなる自分がいる。

あなたはかわいいよ、優しいよって伝えたくなる自分もいる。

やっぱり気楽にしてあげたいと思ってしまう自分もいる。

そう思わないようにしようと思ってしまう自分もいる。←この自分が実はいちばんかっこつけてる 笑笑

 

 

 

 

 

ぜんぶ

まぁいいんじゃない?

ヽ(*´∀`)

っていうことです。

 

 

出てくるものは、出てくるんだもの。

 

 

雨が降るときは降るように

風が吹くときは吹くように

 

 

思いが湧くときは湧く。

 

 

以上、なんですよね。

 

ただただ

 

目の前の人が

気楽になって

目を合わせて笑いあえるように

空気が緩んだら

私は嬉しい。

 

そのきっかけが

私であってもいいし

私じゃなくてもいい。

↑この頭があると

目の前の人が気楽になるための

選択の自由度が飛躍的に上がりました。

 

 

でも根底に流れる思いはやっぱり

【みんな自分でどうにかできる力は絶対に持っている】です。

たとえ本人が気づいてなかったとしても。

 

 

ひとつひとつの命への敬意です。

たぶんです。

 

 

明日なにする?って遊びの予定立てるみたいに

人生の話をしているときが

一番好きだと感じる

今日この頃です。

 

眩しい悩み。

歌を習いにくる生徒さんは

 

“自分の声や歌が嫌いだから”

っていう人も、たくさんいます。

 

 

嫌いでも、嫌いなのに

歌いにやってくるというのは

少しでも好きになろうとしてやってくるってことだな、って

 

私は思うから

 

眩しいです。

 

「ちょっとはマシになるかと思ってw」

とか言ったりしても、私には眩しい。

 

 

自分の世界を豊かにするために

生まれる悩みや痛みは

大事なものというか

もう、解決へ向かうしかないものな気がします。

(少なくとも私の中でそれは解決へ向かい始めます!)

 

見ないふりしないでやってきたその人達に

 

私もがんばろう♪(*⁰▿⁰*)

って

たくさんの力を、もらいます。

 

おー!(*⁰▿⁰*)

 

音楽のこと。歌のこと。

わたしなりの

捉え方です。

言葉で解説するのって

野暮かも。。。

 

 

でもやっちゃう!!

(*⁰▿⁰*)

 

 

 

音楽って感覚のものだと思うのですが

歌というのは他の楽器よりも

感情が、より、混ざりやすい気がします。

楽器が人間だから。

歌詞がついてるものだと、さらに

言葉が感情をひっぱりだしたりします。

 

 

本人がとても感情的な性質であり

そのまま

感情的に表現するなら

かけ算式に

歌は不安定になる気がします。

感情というのはそもそも

大きく揺れてるものだから。

 

逆に

本人があまり感情にとらわれない性質で

そのまま

感覚的に表現すると

歌は安定を帯びる気がします。

 

 

安定した歌声。

 

 

不安定な部分と

安定な部分を

どの程度混ぜ合わせるのか、というのは

 

 

自分が感情的な人間なのか

そうでもない人間なのか

その配合を知って

それから好みの調合をすると

おもしろいなぁと思います。

 

わたしなんてもう

ものすごーく人間らしく

感情がしたたるほどなので

 

感情込めないで

感覚神経と運動神経で集中して歌うと

安定して身体が鳴るのを楽しめます。

 

あえて何も込めなくても

どうせ勝手にエレジーが滲み出る。 

 

で、たまにちょこっと

感情に顔出させて

胸のあたり、きゅーんと

つまらせちゃったりして。

 

感覚の圧倒的な喜びと

それをデコレーションする人間的な感情の恵み。

 

 

くぅーー!たまんないねぇ!!って

なりますね(*⁰▿⁰*)

プレイ。

この人好き!

かわいい!

素敵( ・∇・)♡

 

と、思うと

 

いつのまにか

しぜーんと

その人みたいになっていくことありませんか?

 

あと

役職がついたり

職種によっても。

 

たとえば、わかりやすく

銀座で受付やってた時とか

 

なんかなんとなく

“銀座の受付嬢”に

なっていってた気がします。

 

意図していなくても

 

ただなんとなく

 

なっていってしまうんですね。

寄っていってしまうというか。

取り込んでしまうというか。

 

 

でね。。。。

 

 

私が最近

気づいたのは

 

その2つの合わせ技で

 

好きな人みたいに

且つ

わりあてられた役の持つイメージ通りに

 

ちゃんと

悩もうとしている自分ですwwwwww

 

巧妙に完璧に

自分を騙して

悩んでみてるんです

_(┐「ε:)_

 

その

素敵な人に魅力感じてるの、

そこじゃないのよ。

でも

一生懸命悩んでる姿が

かわいいな、とは思っていたの。

 

だからだと思う。

 

あとはなんか

与えられた役割の、イメージ?

 

最初は

 

ただ楽しんでやってみて

やりながら、やりにくかったら

変えてけばいっかな(*⁰▿⁰*)

違うって言われたら、、、

言われてから考えようかな♡うん♡

 

 

だったのに

 

 

やっていくうちに

悩んだ方が

なんかほらちょっと

ちゃんとしてる感じ。

みたいな(*⁰▿⁰*)

(無意識です)

 

 

その無意識の動きに気づいて

あほか。

って

なったんで

 

 

お悩みプレイは終了です

m(_ _)m

 

 

今回も実に巧妙だったな。

でもなんかちょっと

うすうす気づいてた自分は

早いうちから、いたかも。

なんていうかね

悩みに実体がなかったから。

 

 

“かわいい”は形容詞ではなく感覚そのもの。

姪っ子めいちゃんを見ていて

気づいたことがあります。

 

 

彼女が

『かわいい!!』と感じたものは

彼女そのものなんだな、ということ。

 

 

かわいい、人。

かわいい、もの。

かわいい、お花。

 

形容詞として“かわいい”を捉えてしまうと

まるで

“かわいい”は

まるで自分の外側にあるように思う。

 

 

でも

言葉を知らない2歳の頃から

『かわいいー』を連呼していた

めいちゃんは

 

“かわいい”を、ちゃんと

自分の内側である心と身体が感じる

感覚として

捉えているんじゃないかな、と思う。

そしてその感覚を

とても好んでいる。

だから、自ら感じとりにいく。

 

彼女がなにかを見て

『かわいいー』と言う時

それは

イコール

『わたしはいま きゅんとしてるの』っていう

報告とシェア。

 

 

まるで

“まんま”の意味はわからないけど

『おなかがすいたときは“まんま”っていうのね。』って

覚えるように

 

きっと“かわいい”の意味さえ知らないうちに

『きゅんとしたときは“かわいい”っていうのね。』って

覚えたんじゃないかと思う。

 

 

「自分のこと、かわいいってわかってる」

のではなくて

 

“かわいい”は

自分が体感してる感覚そのもの。

自分そのもの。

かわいいって感じてる私がいるだけ。

 

あつい、さむい、かなしい、うれしい、さびしい、おいしい、とかと同じ。

 

誰かやなにかを

素敵だなぁと

感じたら

 

その“感じ”は、私のもの。

感じてるのは、私でしょう?

その時“素敵”は、どこにある?

 

私を

優しいなぁと感じてくれたのなら

胸があたたかくなるのは

他の誰でもない、あなたでしょう?

その時、そのあたたかさは

どこにある?

 

 

そう考えると

 

 

誰かや何かと自分を比べて

嫉妬したり

ひねくれたり

落ち込んだり

変な競争する必要が

実はまったくないんですよね。

 

ていうか

その対象が、そもそもなくなってしまうから。。

 

それが腑に落ちた上で行う

嫉妬や拗ねは

 

 

もはや

ただの

 

 

神々の、遊び。。。。笑

 

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すごいなー!!♡

きれいだな〜♡

かっこいいな。。。♡

かわいいな〜♡

うっとり〜♡

 

ださいー。

かっこわるいー。

きもちわるいー。

むー(`・ω・´)

 

って

感じられたら、それは

 

相手のものでもあり

感じた人のものでもあり、ですよね。

 

 

私も

自分の感度をもっと上げていこう。

雑多な感覚を、取りにいこう。

どんなに眩しくても

めいいっぱい感度を追いつかせて

自分の心に映していこう。

 

おそらくふるさと。

《行ったことのない場所へ

帰りたい気がした》

 

 

小林直

『もういちどだけあいたい』

の中の一節。

 

えーと

なにかの曲のカップリングです。

アサガオ』かなぁ?

(ぜんぜん違いました。

ミニアルバムの曲でした。。。)

( ´ ▽ ` )

 

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空を見てると

 

あー気持ちいいなー

あー帰りたいなー

 

っていう気持ちになります。

 

なりませんか?

 

私は特に

雲を見てると思います。

 

もくもくの中へ

どーんとダイブして

 

 

あー

帰りたい。

 

 

でも

 

 

今のわたしには

大切な人や大切な場所がたくさんあるから

帰ったっきり、は

ちょっと寂しいかな。

 

 

帰省を、したいんですよね。

生活の拠点はここで

ふるさとはあそこ。

 

行ったり来たり、できたらいいのになぁ

(*⁰▿⁰*)

 

 

 

 《もういちどだけ

かなうなら君にあいたい

 

知らないふりで

すれ違うくらいでいい

 

もういちど だけ》