toi.toi.toi.

I am a Singer

無駄使いばっかりしたい。

自分のできてないことを発見して

挑戦していくことって楽しいよね。

 

 

ずーっとできないから続くんだし

少しずつできていくのが楽しい。

成長するって楽しい。

深めていくのって、楽しい。

 

 

 

 

 

という定義が

自分の中にある場合

 

 

自分はもちろんのこと

他人も当然そうだろうと思ってる。

“思ってる”ことにすら気づかず思ってる。

 

それを

【思い込み】と言いますね。

【常識】とも言う。

 

 

 

でも

 

レベルアップとか、さらに極めてくとか


そういうんじゃなくて

 

 

たくさん褒められて気分いい、とか

らくらくできるから気分いい、とか

笑えるから気分いい、とか

気持ちよすぎて気分いい、とか

 

それだけの理由で“楽しい”と感じて

さらにその楽しい時間がずーっと続くことって

ナシなの?

アリじゃない?アリの世界が、良くない?

 

っていうか

アリの世界は既に存在してて

そういう人たち、たくさんいます。

ナシの世界の【常識】にあてはめれば

『本当の“楽しさ”を知らない人たち』に

見えるかもしれないけれど。

 

 

 

 

 

 

 

っていうふうに

無意識の【常識】に気がつくだけで

行動って、変わりますよね。

視点も着眼点も変わる。

他人への言動も、変わる。

 

私の仕事で言えば

レッスンスタイルも変わります。

 

 

【常識】に気がついても

それがすごく気に入ってるなら

それを採用し続ければいいし

その常識を共有する人たちが“仲間”になりやすいんだろうけど

 

なにかのタイミングで

自分が【常識】を振りかざすようになったり

『人それぞれだよね』なんて口では言いながら

心のどこかで

自分の【常識】を脅かす存在にたいして

疑ったり

イライラしたり

なんとかしたい、もしくは

なんとかしてあげたい気持ちが強くなったり

ほんのちょっと見下したりするようになった時

 

 

あれ?って思って

自分の心の

お問い合わせセンターに連絡するチャンスです。

 

どの【常識】の更新時期でしょうか?って。

常識、って

意識した時点でちょっと、常識じゃなくなる。

 

 

 

有益なことに繋がる気が、まっったくしないことに

 

楽しい、って、詰まってるかもしれない。

 

それなら私

人生をじゃんじゃん無駄使いしていきたい。

 

 

プロフェッショナル。

プロの条件て

なんだろうと考えると

 

お金をもらってるかどうかじゃなく
多くの人の支持を得ているかでもなく

 

自分自身が自分自身のやっていることや

表現していることに対して

誇りを持っているかどうか

じゃないかな、と思いました。

 

誇りと、愛かな。かたいかな。

 

それがあるから

真摯に取り組むし

自分なりのこだわりも出てくるし

時間を費やし

没頭する。

 

お金をもらってなくても

誰の役に立っていなくても

 

本当は、自分自身だけで

プロ意識って、完結するものなんじゃないかなと思います。

 

もちろん

その意識からスタートした流れで

誰かの役に立ったらすごく嬉しいし

お金もらったって嬉しい。

 

でも逆の流れでは

満たされないんじゃないかな。

 

自分自身で

その意識を持っていないと

 

お金をもらえたときや

評価されたときは

“自分のやったこと、正解!”になって

 

誰にも見向きもされなかったとき

“自分のやったこと、ダメなんだ”

になる。

 

 

その場の一喜一憂が生まれるだけで

なんか

空しいんじゃないかな。

 

 

周りに起きてることに照らし合わせて

自分の正解不正解を決めるのではなくて

 

 

自分自身と

その自分の表現に

誇りと、愛を持てたなら

 

 

自分のやることなすこと

ぜんぶ正解しかない。

 

 

仕事だけじゃなくて

生きかたも在りかたも

ぜんぶひっくるめて

私は、私のプロフェッショナルであろうと思います。

 

 

だから

 

 

深夜1時にポテトチップスコンソメ濃い味を一袋食べたって正解という話です。(実話) 

お酒。

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たまに

 

 

お酒を飲みたいなぁと、思うときがあります。

 

 

そもそも弱いので、いつもぜんぜん飲まないんですけど

 

 

美味しいお酒を、少しだけ飲んで

幸せな気持ちで

夜道を酔っ払って歩きたくなるんですよね。

 

 

幸せな時間ですよね。

ほわほわした、あの夜道。

月も、より一層きれいに見えたりして。

 

 

お酒についてブログ書けるほど

お酒とのつきあいがないことに

書き出して気づきました☺︎

見切り発車バックオーライ!

 

 

 

まぁ

普段は離れてるから特別に大好き

なのかもしれません。

  

 

いつも一緒で大好き

なのは

ココアです( ´ ▽ ` )ノ

 

 

母と映画。

母から

『映画を観に行きたいな』と

お誘いがありまして

いろいろ調べて

行ってきました。

 

私は、いつも映画館へ行く時、たいていひとりですが

母は、ひとりで行く習慣はないのです。

 

でも母にとって、映画館へ行くことは

身近な、大切な娯楽なんですって。

父と暮らしていた頃は、よく2人で観に行ってました。

 

父の代役で、母とデートです。

 

私は正直、どうしても観たい!という映画ではなかったけれど

おしゃれした母は、終始にこやかで

ごきげんで

そんな母を見ることが

私にとっての

今回のデートの目的なのでした。

 

 

親孝行、なんていうのは

たぶん子が生まれたと同時に

完了しているんだと思います。

 

 

産んで、生まれて、育てて、育てられて

家族になっていく者同士のご縁の間に

“恩返し”の単語は、なんとなくしっくりこなくて。

 

 

ただ、親が幸せそうに笑ってるのを見るのって

子も、やっぱり幸せだから

そのための、些細なやりとりが

すべて親孝行で

その親孝行はやっぱり

子の幸せのためにやらせてもらってると感じます。

 

 

 

結果、親も子も、気持ちを回し合う。

その回し合った気持ちが

ほんわかほんわかと、優しい空気を作る。

 

 

今日の、映画デートのように。

 

 

予告編を観ながら

『次はこれ来よう!』と言っていた母は

とても楽しそうで

かわいかったです。

 

 

また、調べておきます。 

ハローグッバイ。

数年にわたり、レッスンを担当していた生徒さんが

 

療養のため、やめていかれました。

 

とても博識な方で

レッスン中の話題はいつも多岐にわたって

 

よく

『上の話から、下の話まで

隈なくできますね 笑』

と言いあっていました。

カミカラシモマデ(*´∀`*♡

 

 

これから繭にこもる間

お休み、ではなくて

辞める、を選択すると

おっしゃっていたことに

大賛成しました。

 

気を散らさないで、自分の力を取り戻すことに集中してほしいから

お休み、だと

気が散るでしょうから

さよならしましょう、って

そう思いました。

 

 

生徒さんが最後に

 

『いつでもフラットで

どんなことにも偏見を持たずにいてくれて

本当に嬉しかった。

お会いできて

本当に本当によかった。

ありがとうございました。』

 

と言ってくれました。

とても嬉しくて

勲章をもらったような気持ちになったけれど

 

それは私こそ、でした。

この数年

私こそ

この台詞のまんま、です。

 

 

物理的な距離は離れてしまっても

ふと思い出した時に

いつでも繋がるんだろうな。

私の心を通して、彼女の存在に。

 

素晴らしく豊かな時間を

ありがとうございました。

 

 

またいつか、どこかで♪

です^^

 

 

 

ひとりごととは、自分が最も活用できる情報の宝庫。

“なんとなく、で、やってる人達といるより

自分はもっとバリバリやってる人と一緒にいた方がいいと思うんですよね。本当は”

 

“自分の強みをブランディング化していかないと”

 

“あ、こんな話、眠くなっちゃいますか?w”

 

 

という発言に 

ぼんやりした笑顔で

いいえー(^-^)

と、お返事しつつ

 

 

あぁ眠たい

あんたの話がバリっとしねーわ

ごちゃごちゃ言ってないで

とっととブランディング化でもなんでもして

ランディアで売ってこいバカやろう

 

 

思っていたので

 

“眠たい”部分だけが

なんとなく伝わったようでした

_:(´ཀ`」 ∠):

 

(あ、ブランディングとか

一緒にいる人を選ぶこととかを

否定しているのではありません^^)

 

 

 

自分から誰かを見て

なんとなく、の日常が繰り返されてるように見えるなら

その、まるで使いものにならない目を

まずどこかで売っぱらったらいいんじゃないかな

( ´ ▽ ` )安そうだけど

 

 

 

 多かれ少なかれ

『自分は、なんとなく、で、やってるんじゃないか』って

ひとり心の中で疑い、試行錯誤しながら

生きているのではないかなと思います。

 

各々のペースで。

ひとりひとり。

 

『自分は、なんとなく、で、やってるんじゃないか』って疑ったなら

それはもう、なんとなく、で

やってなんかいない。

その疑いをきっかけにして

自分を読み取ってそれに乗ってればいい。

周囲の人や環境が気になるなら

気になることに気づいて

ますます、自分のペースを読み取ることに全力で集中するだけ。 

 

 

周りにいる人がこうだから、とか

環境がこうだから、とか

もったいない。

自分を読んで乗れれば

どんな人からも、どんな環境からも

宝は得られて財産になる。

ちゃんと使える知的財産というやつです。

←ビジネスっぽくしてやったぜ

 

 

私はそういう部分での

欲が結構深い。

拾えるものは

ぜんぶ拾いたい。

だから、自分を読む目を磨きたい。

磨き続けてきたし、これからも磨いていく。

たぶん生きてるうちはずっと。

 

 

 

なんとなく、やってる人がいるとしたら

 

 

 

その、やっっすい目を疑いもせず使い続けてるうえに

使い方のセンスもない

お前だろ

 

 

 

っていうひとりごと。

( ´ ▽ ` )ぴしゃりです♡

 

言ってる自分の心の背筋が

しゃんとします♡

癒しに飽きたら。

歌声の変わり目です。

 

なんだろな、もっと

声張り上げたいんですよ。

 

でも

今まで張らないようにしてた反動で

張ろうとすると力んじゃうんです。

 

でもまぁ

最初はそんなもんだろうと思いながら

緩めてしまわずに、力みながらも

練習してると

 

超ヘタなんですよww

変な声出るしwww

 

ゔ ゔーーー

 

ってなるんですけど

 

ヘタすぎて可笑しくて

練習してて楽しいwww

 

中学生に戻ったみたいです。

 

いろんな人に助けてもらいながら練習してます。

教えて教えてーって

こんなのどうー?って

まわりに上手い人ばかりなもんで( ̄▽ ̄)

 

 

これか?

これか(*⁰▿⁰*)

 

って

バランス取れる時が増えてきたんですね。

 

なんとなくの、身体の感じとしては

 

 

張る、って

力、入れるんでしょ?って

思ってたんですけど

 

 

でもなんか

思ってたのと違いました。

むしろ

でしか支えない。

 

 

てん♪(*⁰▿⁰*)

(擬音です)

 

 

って感じでした。

当社比です。

 

もっともっともっともっと

どうにかしようとしなくていい。

 

歌いながら

頭の中でそう言ってました。

 

大きく見せなくていい。

強く見せなくていい。

負けちゃっていい。

もっと適当で。

もっと大胆で。

もっと流れで。

 

 

息も声も

支える感覚より

支えられてる感覚。

 

 

 

 

まだヘタなんですけどwww

味はある( ̄▽ ̄)

一応もうちょい

上手くなる予定ですwww

 

 

身体と仲良く遊ぶのは

やっぱりすごく楽しーい♪

 

 

もっともっと筋肉柔らかくしよー♪

もっともっと歌うー♪

(*⁰▿⁰*)