toi.toi.toi.

I am a Singer

足りなくて良かったこと。

上手くなくて良かったこと、に似てますが

 

思春期に

『誰もわかってくれない』って

思うことってあるじゃないですか。

 

私はあったんですね。

転校回数が多かったりして、なんかそんなタイミングでそう感じやすかった。

ナウシカの持つ孤独感に憧れたり。)

 

そのぶん

 

自分のことをわかりたくなるし

誰か、わかってくれる人を求める気持ちが

強くなるし

 

わかってあげたい気持ちも強くなる。

 

そうしてわかりあえた時の喜びや

感謝は

やっぱり大きいんですよね。

反動で。

 

身体全部、細胞全部が喜ぶような、そんな感じで。

極端ですけど。

 

 

 極端ですけど、そんなことを繰り返すうち

気づいたんです。

 

 

わかってくれない、という悲しみは

わかってもらえた・わかりあえた時の

喜びを体験するためでしかないのではないか

と。

 

そのありがたみを忘れてしまうことも

また思い出した時の喜びのために、ある。

 

てことは

足りないことも忘れちゃうことも

喜びに繋がってる。

 

時系列なんて、あってないようなもので

ほんとはそっち(喜び)ありきの

スタート(悲しみ)なんじゃないかな、と。

 

まぁ、そう思えてしまうほど

感動するのです。

 

だからといって

その時感じている悲しみが減るわけではないけど

なかなか悪いものではないな、と

思うのです。

 

悲しみや苦しみのさなかにいる時は

ほんのチラリと

 

あの感動のフラグが立ったな。

 

と、うっすら思ってしまう自分がいます。

 

 

 

 

 

 

これぞ究極のドMという。