toi.toi.toi.

I am a Singer

素敵は常に補充しておきたいもの。

文字でも映像でも

 

画面でなんでも済む世の中で

 

スカイプミーティングで事足りる』

なんて便利な世の中で

 

 

人と会う、というのは

それだけ

 

相対した時の

眼差しや間合い

色も音も味も温度もある空気 

そういうものに

さわりたいからです。

 

実際あとあとまで思い出すほど

自分の身体が記憶するのはそういうものだし

目先の損得は頭ではわからなくても

身体が覚えてくれる気がします。

 

(私は私の脳をほんとに信用していない。

ごめんね脳。

がんばってくれてるのは知ってる。

それだけでじゅうぶん。)

 

たくさんの人に会って向かい合うことが好きなのは

気持ちがいいからです。

ひらいて、だして、うけとって、だす。

なにを?なにかを。

ああ気持ちいい。

 

ひらいて、だして、うけとって、だすをしていると

ずっきーん!と来ることもあるけれど

繰り返してると、たいしたことがなくなってくる。いわゆる、慣れる。

もしくは拡がる。

 

会いにきてくれる人には

なにかしらの

“素敵”を持って帰ってもらいたいなぁ。

ねがわくば。

 

感じた“素敵”は

その人の血肉になって

さらに“素敵”を放つよね。

素敵な人を見ると

この人はたくさんの“きゃーステキ!”を見て感じてきたんだろうなぁと思う。

 

そしてそういう人は周囲の人に知らず知らず振りまいて

素敵を拡散していく。

 

私は“素敵”の身体感覚が好きなので

人の素敵な部分をよく見る。

私の血肉にすべく

取り込んでいるのだと思う。

 

拗ねて取り込まないのはもったいないので

嫉妬しても取り込む。

ていうか、嫉妬することほど

むしろ凝視する。

それほどに欲しい“素敵”なのだから。

 

回せるといいなぁ。素敵を。

回せるだけの素敵を集めよう。