toi.toi.toi.

I am a Singer

“かわいい”は形容詞ではなく感覚そのもの。

姪っ子めいちゃんを見ていて

気づいたことがあります。

 

 

彼女が

『かわいい!!』と感じたものは

彼女そのものなんだな、ということ。

 

 

かわいい、人。

かわいい、もの。

かわいい、お花。

 

形容詞として“かわいい”を捉えてしまうと

まるで

“かわいい”は

まるで自分の外側にあるように思う。

 

 

でも

言葉を知らない2歳の頃から

『かわいいー』を連呼していた

めいちゃんは

 

“かわいい”を、ちゃんと

自分の内側である心と身体が感じる

感覚として

捉えているんじゃないかな、と思う。

そしてその感覚を

とても好んでいる。

だから、自ら感じとりにいく。

 

彼女がなにかを見て

『かわいいー』と言う時

それは

イコール

『わたしはいま きゅんとしてるの』っていう

報告とシェア。

 

 

まるで

“まんま”の意味はわからないけど

『おなかがすいたときは“まんま”っていうのね。』って

覚えるように

 

きっと“かわいい”の意味さえ知らないうちに

『きゅんとしたときは“かわいい”っていうのね。』って

覚えたんじゃないかと思う。

 

 

「自分のこと、かわいいってわかってる」

のではなくて

 

“かわいい”は

自分が体感してる感覚そのもの。

自分そのもの。

かわいいって感じてる私がいるだけ。

 

あつい、さむい、かなしい、うれしい、さびしい、おいしい、とかと同じ。

 

誰かやなにかを

素敵だなぁと

感じたら

 

その“感じ”は、私のもの。

感じてるのは、私でしょう?

その時“素敵”は、どこにある?

 

私を

優しいなぁと感じてくれたのなら

胸があたたかくなるのは

他の誰でもない、あなたでしょう?

その時、そのあたたかさは

どこにある?

 

 

そう考えると

 

 

誰かや何かと自分を比べて

嫉妬したり

ひねくれたり

落ち込んだり

変な競争する必要が

実はまったくないんですよね。

 

ていうか

その対象が、そもそもなくなってしまうから。。

 

それが腑に落ちた上で行う

嫉妬や拗ねは

 

 

もはや

ただの

 

 

神々の、遊び。。。。笑

 

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すごいなー!!♡

きれいだな〜♡

かっこいいな。。。♡

かわいいな〜♡

うっとり〜♡

 

ださいー。

かっこわるいー。

きもちわるいー。

むー(`・ω・´)

 

って

感じられたら、それは

 

相手のものでもあり

感じた人のものでもあり、ですよね。

 

 

私も

自分の感度をもっと上げていこう。

雑多な感覚を、取りにいこう。

どんなに眩しくても

めいいっぱい感度を追いつかせて

自分の心に映していこう。