軽くなるなら。少しでも。
誰かと対話している時に
いちばん湧きやすい思いは
“この人が少しでも
気楽になるといいなぁ”です。
仕事だから、とは割り切れない、一期一会の精神で思いを込める癖は相変わらず。
不器用なので仕方ないですね。
でも
『気楽になるようにしてあげたい、って
思わないようにしよう』って
思う自分もいました。
だってみんな自力で
そうできる力があるから。
私が、自分の“やってあげたい”欲
(承認欲求に近いのかな?)で
どうこうするようなことじゃない、って。
で
その大前提は変わらないんです。
みんな自力でそうなれる力が
絶対にあるってこと。
でも
さらに
私が気楽にしてあげたいって思ってもいいや、って思いました。
私が、私に
そう思っちゃってもいいんじゃない?って
言ってあげた感じです。
みんな自力でそうできる力がある。
それを知っている自分もいつつ
あなたにその力があることを思い出してって伝えたくなる自分がいる。
あなたはかわいいよ、優しいよって伝えたくなる自分もいる。
やっぱり気楽にしてあげたいと思ってしまう自分もいる。
そう思わないようにしようと思ってしまう自分もいる。←この自分が実はいちばんかっこつけてる 笑笑
ぜんぶ
まぁいいんじゃない?
ヽ(*´∀`)
っていうことです。
出てくるものは、出てくるんだもの。
雨が降るときは降るように
風が吹くときは吹くように
思いが湧くときは湧く。
以上、なんですよね。
ただただ
目の前の人が
気楽になって
目を合わせて笑いあえるように
空気が緩んだら
私は嬉しい。
そのきっかけが
私であってもいいし
私じゃなくてもいい。
↑この頭があると
目の前の人が気楽になるための
選択の自由度が飛躍的に上がりました。
でも根底に流れる思いはやっぱり
【みんな自分でどうにかできる力は絶対に持っている】です。
たとえ本人が気づいてなかったとしても。
ひとつひとつの命への敬意です。
たぶんです。
明日なにする?って遊びの予定立てるみたいに
人生の話をしているときが
一番好きだと感じる
今日この頃です。