toi.toi.toi.

I am a Singer

ろくでなしブルース。

努力の才能はないので

 

そこは放棄して生きてるんですけれど

 

その結果

 

努力して与えようとしていなくても

私から漏れ出たなにかを

自動的に受け取ってくれる人が

たくさんいることに気がつきます。

 

すごいなぁと思います。

 

こちらから働きかけなくても

ただ居て、しゃべったりしてるだけで

受け取る人は、なにか受け取ってる。

 

そしてさらに気づいたことは

 

その流れで、受け取った人から感謝されると

結構、居心地が悪いということです 笑

 

いや感謝はまだ大丈夫だな。

《賞賛》の方が居心地が悪い。

 

謎の

不安感というか

罪悪感?なんでしょうかね。

 

なんにもしてないのに

何かをもらう、って

やっぱり居心地悪いんですね。

大人というのは。

いや、小学生くらいからそうだったかな。

 

でもね

 

なんにもしてなくないんですよね。

ほんとうは。

なんかしてるんですよ。

知らないうちに。

もっと言ってしまえば

いるだけで、なんかしてる。

二酸化炭素、空気中に吐き出してますしね。

他にも色々出してるんでしょう。

文字通り、空気を変えてますもんね 笑

 

なんにもしてないのに、っていうのは

【“私が”やった感】がないというだけ。

 

 

【“私が”やった感】=

努力だったり苦労だったり

費やした時間だったり

かけたお金だったり。

 

かな。

 

この【“私”がやった感】なしで

なにかをもらうのって

やっぱり

ろくでなしっぽくて嫌なんですよね。

 

 

でも

 

 

「【“私が”やった感】が欲しい」

という気持ちを手放して

腹をくくって、ろくでなしになってみると

ひきかえに

本当に

感謝の感覚と

人の優しさや凄さ

才能や器の大きさなどなどを実感します。

感動すらします。

 

だから

 

謎の不安感や罪悪感に

目をくらまされてる場合ではないな

と思うのです。

 

そんなことに拘っていたら

感動も薄れるうえに

受け取ってくれる人の邪魔をしてしまいますしね。

 

また

 

なにかしたい、という気持ちも

とても自然で優しいものだとも思うのです。

 

なにかする時は、できれば

自分の不安感や罪悪感を消すためじゃなくて

 

なにかしたい、で動きたいと思うのです。