できる、って喜び。
やるだけやって
相手の反応や物事の結果についてはノータッチでいる方が
とても健康的に過ごせます。
ストレス感じる時ってだいたい受け身側になってしまってる時。
あの人がああ言った
こうしてくれなかった
仕事で叱られた、とか
環境が思った通りにならない、とか。
まぁ多少がっかりはしますけど
そのあたりの事って、自分の操作できないところだから
操作できないところをいつまでも考えていてもどうにもこうにも、なので
さて、次は何しようかな
って考えた方がいいなぁって思いました。
やるだけやったし、っていうふうに
自分は“やった”ってとこにもっと重点を置いて
自分で評価してもいいよね。
特に楽しいことやる時だけじゃなくて
お茶飲むにしても、歯磨きするにしても
“私がこれをやろうと思ってやっている”って
意識を持つと
自己評価慣れしてきます^^
今日もできたことたくさんあった!って。
娘を見ていると、すごくよくわかる。
能動的であることって、喜びなのね。
ずいぶん長い間、誰かに褒められたり評価されたりすることの方が喜ばしいことだって思っていました。
能動的であることの目的も、最終的には誰かから評価されるためだったり。
でも
誰かに褒められたり評価されたりするのも、結局受け身側なんだよね。
受け身側にいる時の喜びって儚いから
もっともっと、ってどんどん欲しくなっちゃう。
もらえないと不安にもなるし。
だから今は
できた!やれた!ってことを
喜んで
結果については
神様うまくやってね、ってお願いしといて
さぁ私は今何しようかなって
そういうサイクルが心地よいし
結果、神様はほんとにうまくやってくれます。