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I am a Singer

甥っ子そうた5歳。命を知る。

フォーエバーラブ甥っ子そうた5歳。
もう年長さんです。りす組さんです。

今年の春、彼の家で飼っていた猫がなくなりました。
名前は“ねね”。
明るい橙色と白色の毛を持つ
美形で大きな大人しい猫でした。
彼が生まれる前から居た猫です。

なくなった日の夜、彼は少し泣いたと
姉から聞きました。


それからというもの
会うたびに
“ねねさー、しんじゃったんだよ”
と言うのです。


折り紙しながら

“あのさー、ねねさー、しんじゃったんだよ”

お絵かきしながら

“ねねさー、しんじゃったんだよ”


言いながら
整理のつかない自分の気持ちを
落ち着けているのかなと思いました。


私が
『そっかー。
そうたはどんな気持ち?』と聞くと

『えー‥‥さびしい』と言って

口を尖らせながら
色えんぴつで、がしがし絵を描いたりしていました。
私の似顔絵。顔はピンク。
え?界王神

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そんなある日
彼が仏壇に向かって

『じいちゃんはどこにいるの?』と

呟きました。


“じいちゃん”は、私の父です。

彼が1歳の時には、もう父はいなかったので
ハッキリとじいちゃんの記憶はないだろうと思うのですが

写真でしか見たことのないじいちゃんと
突然目の前からいなくなった、ねねが
彼の中で何かしら繋がったのかもしれません。

私は
彼の小さい胸板を、とんとん叩いて
言いました。


「ここにいるんだよー」


思い出せばいつでも会える。
ある意味、生きてる時より会いやすい。
どこでだっていつだって会えるのです。


彼は
『ふーん。。』と言いつつ
よくわからない顔をして
また遊びに戻っていきました。




お父さんならきっとこう言うだろう、と思う時や
豪快に笑ってそうな気がする時、誰かに父の話をする時


私の中には確実に父がいます。
会っているのです。本当に。
こうして、いつまでだって繋がっていく。


そして
だからこそ


身体があるうちに出会えていることや
声が聴けて触れられて
この目で見られることは
どれも特別オプションで
あたりまえだけど有限だと思いました。


人に自分を開くことは
こわい時もあるけれど
こわい気持ちのままでも
それでも
人と関わっていきたいと思うようになったのは
父のおかげもあるかもしれません。
うん、まぁ、ちょっとだけね。
それ以外にもきっかけになった出来事はあったけどね。


フォーエバー&エバーラブ甥っ子そうた5歳の身体を
ぎゅーぎゅーしながら
これも身体のあるうちだからこそ、と
そんなことを思った6月の土曜日でした。