toi.toi.toi.

I am a Singer

境目が溶けていく。

プロとアマチュア

教える側と教わる側

仕事と遊び

友人と初対面の人

 

 

いろいろな境目が、どんどん溶けていきます。

 

 

それは

 

 

出来る自分と出来ない自分

考える自分と浅はかな自分

明るい自分と暗い自分

 

などなどの、自分の内側の境目が溶けていくにつれ

起きてきたような感覚です。

 

区切っていたところを緩めたら

はみだしてくるんで

はみだしてきた(出来なくて、浅はかで、暗くて...and more(´・ω・`))自分も

いいよいいよ

しょうがないな

お前もか!

と入れてあげるんです。

 

 

区切りが緩くなると

《これは大事!》《これは私の!》

って、無意識に自分の持ち物だと思ってたもの(考え方とか)も

あらあらって、出てっちゃう。

 

これもなかなか衝撃で静かな体験でした。

これ握りしめてた握力、結構使ってたなってわかる。

手を離さないとわからない。

 

いや

そもそも持ってる意識すらないから

手を離すっていう選択もない。

離してみて気づく

『手だと思ってた』

という感じ。

持ってる内に同化してしまうんですね。

 

緩まってると、それに気づいて離すのが

わりとスムーズでした。

離した瞬間、安心に変わる。

心の握力解放。

 

 

緩むと、いろいろ入ってもくるんですけど

外から嫌なものが入ってくる、ってことはなくて

そういう時って

入ってきたものに抵抗して心が力んでて苦しい、というだけなので

抵抗しないで

 

 

入れちゃう。

(反応はします)

 

 

で、抵抗してないと、そのうち

なんかいい感じになるか

なんか、さーっと流れて見えなくなっちゃう。

 

 

 

そもそも

どれだけ絶望的に嫌な自分も

入れてあげてると

それ以上に嫌なものなんて

外から入ってくるものの中には

実際に、ないです。

 

 

そうして

 

 

自然と

いろんな境目が溶けてきました。

 

 

 

区切っていた頃に漠然と想像していたこわさ(大事なものが脅かされる感じとか

自分が灰になってしまいそうな感じとか)

ほんとにただの想像でしかなくて

 

 

想像もしていなかった優しさや

ものすごく恵まれているということを

この身を以て

細かくて柔らかい、あったかいシャワーを浴びるように

体感しています。

 

 

 

他との境目は

この、物理的に触れる身体。

 

 

身体も、やわらかくしてしまうと

溶けちゃうんですけど

区切りはあります。あると思えます。

区切りがあるから体験できることたくさんあるし、とてもおもしろくて、嬉しい。

 

 

区切りを超えて出入り超自由、が今のところ快適かなぁ。

 

 

生きてるうちは、区切りあるんだろうなぁ。

どうなんだろう。

生きてるうちになくなったら、どんな体感なんだろう。

未知ですね。

 

 

知らないことが、たくさんある。

きっと、知らないことすら気づかないことが、もっとある。

と思うと

浮かれますね^^