toi.toi.toi.

I am a Singer

全責任は私にある。

環境のせい、誰かのせい、天気のせい・・

で、自分の調子がなんとなく悪い。

傷ついた。

嫌な思いをした。

 

て、思う時。

 

何かや誰かのせいにした方が

自分を慰めることができるような気がするけど

そうでもないな、と思います。

 

かと言って

 

自分のせい、というふうに

考えるわけでもないんですね。

 

○○のせい、は、責める気持ち。

それが

他人や環境に向かうか

自分に向かうか、の違いだけで。

責める気持ちを持ったままだと

モヤモヤや苦しさは対して変わらない。

 

だから

 

全責任は私にあります。

 

と、思うようになりました。

 

ここで言う“責任”は、責める気持ちとは違うんですよ。

 

何が悪いとか誰が悪いとか自分が悪いとか

そういうこととは一切なんの関係もない。

むしろ良し悪しなんて、どうでもいい。

 

ただ、ただ

 

この私の感じている気持ちや

起きていることの

全責任は私にあります。

 

 

って思うんですよね。

 

 

そう思うとね。

 

 

外側の何にも

力を明け渡さない感じになるんですよね。

 

他人や環境のせいで自分がこんな目に合う、って考えてるってことは

その相手や環境の下に

自分が入ってしまってる。

自分よりもその相手や環境の方に力があって

自分はその下に入って

「相手や環境が変わらないと、私の気持ちは変えられない=私には、変える力がない」

って言ってるようなものなんじゃないかな、と思ったんですよね。

 

そして

 

そんなの冗談じゃないですよ

って話なんですよね。

 

冗談じゃない。

 

そんなわけない。

 

冗談じゃないんです。

 

冗談じゃなーい!

 

 

全責任が自分にある、ということは

じゃあどうするか、を決められるということなんです。

自分の心に、本当はどうしたいかを問い

どうするかを決めていく。

その力を明け渡すなんて

冗談じゃないでしょう。

よしこさんですよ。

・・・平成が終わるっていうこの時期に

昭和のギャグを挟んでしまいました。

 

 

「そうは言っても向こうが悪い」とか

「なんで、どうしてこんな目にあうの」とか

そう言ってる間に、どんどん力を失ってしまうことに気づく。

勝ち負けじゃない。上下じゃない。

そんなことより

もっともっと大切なことを見つめる。

 

自分の心に問い、どうしていくかを決めること。

 

 

 

「私の目の前で起きている出来事や

感じている気持ちの

全ての責任は私にあります。」

 

 

それは力を取り戻すパワーワード

自然と落ちついて、静かになる。

そしたら風が吹いて

自分の人生は自分のものになるような気がします。

 

そのあとで、本当に

ほかの人たちとも尊重しあって

繋がっていけるんじゃないかな。

 

 

なんてことを

1月に入って思いました☺︎