toi.toi.toi.

I am a Singer

わかりあいたい、という力技。

わかってほしい、わかりたい、って

好きな人や大事な人にほど発動しちゃいますよね。

 

 

わかりあえてる度=関係性の深さ

みたいな価値観。

(つい12時間くらい前までの私です 笑)

 

 

 

その想いのもともとの出所は愛情なんでしょうけれど

 

 

なんでわかってくれないの!!??って

詰め寄ったり

どうして言ってくれないんだ。。。って

打ちひしがれたりして

 

 

それってエスカレートすると

暴力行為な感じもします。

 

 

好きな人とわかりあう、って

そんなに必要なのかな?って

自問自答してみると

 

なんでもいいんじゃないかって思いました。

 

植物とか動物とか

会話はしないけど、いてほしいじゃないですか。

だって好きだから。

 

じゃあ

人同士だってそれでいいんじゃないかなって

思いました。

 

わかろう、とせずに

 

ただ目の前にいる好きな人が

発するなにかに

 

ああ、そうなんだね、って思うだけで

 

わからないけど、そばにいるなら

 

それでいいと思ったら

その瞬間、平和でした。

 

 

 

お互いに、よくわからないもの同士でも

各々自分の価値観を持って表現して

 

 

 

思いやりながら

笑ってられたら万々歳^^

 

 

 

相手の

You Love Me と

自分の

I Love You は ちゃんとあるんですよね。

 

 

それは

親兄弟でも友人でも恋人でも夫婦でも

自分自身とのつきあいでも

きっと同じこと☺︎

 

欲しいもの以上にもらえる。

こうしたい

ああしたい

 

こうなりたい

ああなりたい

 

を、求めて動いていると

私は道草が本当に多い 笑

 

でもその道すがらで手に入れたものは

たいせつなものだったり、するんです。

 

ちっちゃい“自分”では

欲することを思いつきもしなかったものたち。

 

 

そう考えると

こうしたい!と望んだ時に

びゅーんと飛ばされた先は

宝の山の麓で

その後の紆余曲折も

既にもうお宝の山の中を進んでる。

 

ああ

自分が本当に欲しかったものってこれか、って気づく。

こんなものがこの世界にあったのか、って感動する。

 

なんていうか

自分に脱帽です。

 

 

結果が早く出る経験は

20代の頃にしてきて

 

でも自分が未熟だと全然受け止めきれないことも知って

 

今の方が、たぶん結果出るのに時間かかってるけど

その間に

財宝とHPとMPをめちゃくちゃ貯めてる感じです 笑笑

 

 

こうしたい、ああしたい、は

発動機の役割みたいで

いつのまにか途中で出会ったものに

夢中になっちゃったりして。

 

 

気づくと叶ってたりするんですけどね。

 

 

 

自分が欲しいと願ったものが手に入った時

 

 

あの時願ったことが

この道を選ばせ

 

願い以上にこんなにたくさんのものをくれたなんて、と

 

 

願った自分に感動します。

 

パーソナルレッスン@銀座

友人知人の繋がりで

ボイストレーニングを希望される方に

個人的にレッスンもしています☺︎

(別途アフターは応相談←)

 

 

歌以外にも

お仕事の関係で声を強くしたい方とか

普段喋ってる時にもっと楽に声を出したい方とか

意外と多いんですよね。

 

 

今日も新しい生徒さんのレッスンでした^^

優しい響きの声の持ち主。

 

 

普段お世話になっている職場の教室を出て

ひとりになると

私は自由度増し増しです。

 

心地よく、生徒さんと2人のペースで

話したり歌ったり

あっというまの1時間でした。

 

 

今日の生徒さんと少しお話しして

 

最初にお願いしたことは

 

声を

出すと決めること。です。

 

(この最初のお願いは、その時々で、変わります。)

 

 

“自分は声を出せる、ということにしちゃう”

でもいい 笑

←笑ってますけど本気です。ふふふ。

 

 

そうすると身体は

声を出す準備態勢に入る。

 

身体がのびのびと緩まれば

同時にしなやかな安定感が生まれる不思議。

 

できる。っていう自分への信頼と

やる。っていう自分の意志は

第一歩目にして

基礎土台です。

 

 

そこを共有してから、始めました。

 

 

文章にするとなんか熱血な感じ

٩( ᐛ )و

レッスン自体は

今日はのんびりゆるゆる、でした。

 

 

 

私の血が静かに熱いだけですw

 

今やっていることを、好きになる。

“好きなことを仕事にする”

“好きなことをやる”

 

って、いいですよね。

 

でも

 

“今やってる仕事を好きになる”

“今やってることを好きになる”

 

というのも、私はしっくりきます。

 

今目の前にあることは

これまでの自分が

その時、良かれと思って

積み重ねてきた選択の結果で

 

その結果

巡り会った環境と、人なのだと

思うので

 

好きなポイント、必ずあるでしょ?

認めたくないようなポイントだったりするかもしれないけど

誰にも言わなくても(言えなくても)

自分でわかってる

好きなポイント。

あ、打算もカウントして。

 

 

“今やってる仕事を好きになる”

“今やってることを好きになる”

 

 

というのは

私にはとても自然で

力強く感じます。

 

 

夏が終わりそうなこの季節に

そんなことを思いました。

 

 

以上です。

 f:id:nnnaooo:20170816231515j:image

軽くなるなら。少しでも。

誰かと対話している時に

いちばん湧きやすい思いは

 

“この人が少しでも

気楽になるといいなぁ”です。

 

 

仕事だから、とは割り切れない、一期一会の精神で思いを込める癖は相変わらず。

不器用なので仕方ないですね。

 

 

でも

 

 

『気楽になるようにしてあげたい、って

思わないようにしよう』って

思う自分もいました。

 

だってみんな自力で

そうできる力があるから。

私が、自分の“やってあげたい”欲

(承認欲求に近いのかな?)で

どうこうするようなことじゃない、って。

 

 

その大前提は変わらないんです。

みんな自力でそうなれる力が

絶対にあるってこと。

 

 

でも

さらに

 

 

私が気楽にしてあげたいって思ってもいいや、って思いました。

 

 

私が、私に

そう思っちゃってもいいんじゃない?って

言ってあげた感じです。

 

 

みんな自力でそうできる力がある。

それを知っている自分もいつつ

 

 

あなたにその力があることを思い出してって伝えたくなる自分がいる。

あなたはかわいいよ、優しいよって伝えたくなる自分もいる。

やっぱり気楽にしてあげたいと思ってしまう自分もいる。

そう思わないようにしようと思ってしまう自分もいる。←この自分が実はいちばんかっこつけてる 笑笑

 

 

 

 

 

ぜんぶ

まぁいいんじゃない?

ヽ(*´∀`)

っていうことです。

 

 

出てくるものは、出てくるんだもの。

 

 

雨が降るときは降るように

風が吹くときは吹くように

 

 

思いが湧くときは湧く。

 

 

以上、なんですよね。

 

ただただ

 

目の前の人が

気楽になって

目を合わせて笑いあえるように

空気が緩んだら

私は嬉しい。

 

そのきっかけが

私であってもいいし

私じゃなくてもいい。

↑この頭があると

目の前の人が気楽になるための

選択の自由度が飛躍的に上がりました。

 

 

でも根底に流れる思いはやっぱり

【みんな自分でどうにかできる力は絶対に持っている】です。

たとえ本人が気づいてなかったとしても。

 

 

ひとつひとつの命への敬意です。

たぶんです。

 

 

明日なにする?って遊びの予定立てるみたいに

人生の話をしているときが

一番好きだと感じる

今日この頃です。

 

眩しい悩み。

歌を習いにくる生徒さんは

 

“自分の声や歌が嫌いだから”

っていう人も、たくさんいます。

 

 

嫌いでも、嫌いなのに

歌いにやってくるというのは

少しでも好きになろうとしてやってくるってことだな、って

 

私は思うから

 

眩しいです。

 

「ちょっとはマシになるかと思ってw」

とか言ったりしても、私には眩しい。

 

 

自分の世界を豊かにするために

生まれる悩みや痛みは

大事なものというか

もう、解決へ向かうしかないものな気がします。

(少なくとも私の中でそれは解決へ向かい始めます!)

 

見ないふりしないでやってきたその人達に

 

私もがんばろう♪(*⁰▿⁰*)

って

たくさんの力を、もらいます。

 

おー!(*⁰▿⁰*)

 

音楽のこと。歌のこと。

わたしなりの

捉え方です。

言葉で解説するのって

野暮かも。。。

 

 

でもやっちゃう!!

(*⁰▿⁰*)

 

 

 

音楽って感覚のものだと思うのですが

歌というのは他の楽器よりも

感情が、より、混ざりやすい気がします。

楽器が人間だから。

歌詞がついてるものだと、さらに

言葉が感情をひっぱりだしたりします。

 

 

本人がとても感情的な性質であり

そのまま

感情的に表現するなら

かけ算式に

歌は不安定になる気がします。

感情というのはそもそも

大きく揺れてるものだから。

 

逆に

本人があまり感情にとらわれない性質で

そのまま

感覚的に表現すると

歌は安定を帯びる気がします。

 

 

安定した歌声。

 

 

不安定な部分と

安定な部分を

どの程度混ぜ合わせるのか、というのは

 

 

自分が感情的な人間なのか

そうでもない人間なのか

その配合を知って

それから好みの調合をすると

おもしろいなぁと思います。

 

わたしなんてもう

ものすごーく人間らしく

感情がしたたるほどなので

 

感情込めないで

感覚神経と運動神経で集中して歌うと

安定して身体が鳴るのを楽しめます。

 

あえて何も込めなくても

どうせ勝手にエレジーが滲み出る。 

 

で、たまにちょこっと

感情に顔出させて

胸のあたり、きゅーんと

つまらせちゃったりして。

 

感覚の圧倒的な喜びと

それをデコレーションする人間的な感情の恵み。

 

 

くぅーー!たまんないねぇ!!って

なりますね(*⁰▿⁰*)