ビリヤード台の上で。
想いを込める癖がある。
想いが熱すぎて濃すぎて
恥ずかしいから
逆に、ひた隠しにしてしまう時もある。
(それでも癖というものは
出てきてしまうし
たいてい、隠せていない。)
“引くわー ”という言葉は
私の辞書になく
「こんなこと言ったら引かれるかと思って」と言われて
「ばっちり受け止めて
むしろさらに押し返すよ」と
男らしい言葉が出て自分で驚いた。
でも本当のこと。
想いを込めて
引かれると悲しいし、恥ずかしい。
込めた通りに伝わらないことだって
勿論たくさんあるのだと思う。
それはきっと
相手の人生においての私の役割が
それだった、ということなんだろうと思う。
記憶にすら残らない、という役割の時もあるのだろうな。
背景の一部役とか時間調整役とか。
あ、あと
「あんなふうにはなりたくない」と思わせる役や
「あ、髪切りたい」と思わせる役とか。
いい役ばっかりは来ないよね 笑
途方もなく細かく繊細に折り重なって交わる役割と関わり方の中で
私が誰かにとってどんな役なのか
私には到底知りえないことで
そこに想いを馳せる時
自分がビリヤード台に乗っている気持ちになる。
自分が転がった先
どんな展開になっていくのかは
わからないから
私は今日も
想いを込めたり
するのみです。