toi.toi.toi.

I am a Singer

音楽のこと。歌のこと。

わたしなりの

捉え方です。

言葉で解説するのって

野暮かも。。。

 

 

でもやっちゃう!!

(*⁰▿⁰*)

 

 

 

音楽って感覚のものだと思うのですが

歌というのは他の楽器よりも

感情が、より、混ざりやすい気がします。

楽器が人間だから。

歌詞がついてるものだと、さらに

言葉が感情をひっぱりだしたりします。

 

 

本人がとても感情的な性質であり

そのまま

感情的に表現するなら

かけ算式に

歌は不安定になる気がします。

感情というのはそもそも

大きく揺れてるものだから。

 

逆に

本人があまり感情にとらわれない性質で

そのまま

感覚的に表現すると

歌は安定を帯びる気がします。

 

 

安定した歌声。

 

 

不安定な部分と

安定な部分を

どの程度混ぜ合わせるのか、というのは

 

 

自分が感情的な人間なのか

そうでもない人間なのか

その配合を知って

それから好みの調合をすると

おもしろいなぁと思います。

 

わたしなんてもう

ものすごーく人間らしく

感情がしたたるほどなので

 

感情込めないで

感覚神経と運動神経で集中して歌うと

安定して身体が鳴るのを楽しめます。

 

あえて何も込めなくても

どうせ勝手にエレジーが滲み出る。 

 

で、たまにちょこっと

感情に顔出させて

胸のあたり、きゅーんと

つまらせちゃったりして。

 

感覚の圧倒的な喜びと

それをデコレーションする人間的な感情の恵み。

 

 

くぅーー!たまんないねぇ!!って

なりますね(*⁰▿⁰*)

プレイ。

この人好き!

かわいい!

素敵( ・∇・)♡

 

と、思うと

 

いつのまにか

しぜーんと

その人みたいになっていくことありませんか?

 

あと

役職がついたり

職種によっても。

 

たとえば、わかりやすく

銀座で受付やってた時とか

 

なんかなんとなく

“銀座の受付嬢”に

なっていってた気がします。

 

意図していなくても

 

ただなんとなく

 

なっていってしまうんですね。

寄っていってしまうというか。

取り込んでしまうというか。

 

 

でね。。。。

 

 

私が最近

気づいたのは

 

その2つの合わせ技で

 

好きな人みたいに

且つ

わりあてられた役の持つイメージ通りに

 

ちゃんと

悩もうとしている自分ですwwwwww

 

巧妙に完璧に

自分を騙して

悩んでみてるんです

_(┐「ε:)_

 

その

素敵な人に魅力感じてるの、

そこじゃないのよ。

でも

一生懸命悩んでる姿が

かわいいな、とは思っていたの。

 

だからだと思う。

 

あとはなんか

与えられた役割の、イメージ?

 

最初は

 

ただ楽しんでやってみて

やりながら、やりにくかったら

変えてけばいっかな(*⁰▿⁰*)

違うって言われたら、、、

言われてから考えようかな♡うん♡

 

 

だったのに

 

 

やっていくうちに

悩んだ方が

なんかほらちょっと

ちゃんとしてる感じ。

みたいな(*⁰▿⁰*)

(無意識です)

 

 

その無意識の動きに気づいて

あほか。

って

なったんで

 

 

お悩みプレイは終了です

m(_ _)m

 

 

今回も実に巧妙だったな。

でもなんかちょっと

うすうす気づいてた自分は

早いうちから、いたかも。

なんていうかね

悩みに実体がなかったから。

 

 

“かわいい”は形容詞ではなく感覚そのもの。

姪っ子めいちゃんを見ていて

気づいたことがあります。

 

 

彼女が

『かわいい!!』と感じたものは

彼女そのものなんだな、ということ。

 

 

かわいい、人。

かわいい、もの。

かわいい、お花。

 

形容詞として“かわいい”を捉えてしまうと

まるで

“かわいい”は

まるで自分の外側にあるように思う。

 

 

でも

言葉を知らない2歳の頃から

『かわいいー』を連呼していた

めいちゃんは

 

“かわいい”を、ちゃんと

自分の内側である心と身体が感じる

感覚として

捉えているんじゃないかな、と思う。

そしてその感覚を

とても好んでいる。

だから、自ら感じとりにいく。

 

彼女がなにかを見て

『かわいいー』と言う時

それは

イコール

『わたしはいま きゅんとしてるの』っていう

報告とシェア。

 

 

まるで

“まんま”の意味はわからないけど

『おなかがすいたときは“まんま”っていうのね。』って

覚えるように

 

きっと“かわいい”の意味さえ知らないうちに

『きゅんとしたときは“かわいい”っていうのね。』って

覚えたんじゃないかと思う。

 

 

「自分のこと、かわいいってわかってる」

のではなくて

 

“かわいい”は

自分が体感してる感覚そのもの。

自分そのもの。

かわいいって感じてる私がいるだけ。

 

あつい、さむい、かなしい、うれしい、さびしい、おいしい、とかと同じ。

 

誰かやなにかを

素敵だなぁと

感じたら

 

その“感じ”は、私のもの。

感じてるのは、私でしょう?

その時“素敵”は、どこにある?

 

私を

優しいなぁと感じてくれたのなら

胸があたたかくなるのは

他の誰でもない、あなたでしょう?

その時、そのあたたかさは

どこにある?

 

 

そう考えると

 

 

誰かや何かと自分を比べて

嫉妬したり

ひねくれたり

落ち込んだり

変な競争する必要が

実はまったくないんですよね。

 

ていうか

その対象が、そもそもなくなってしまうから。。

 

それが腑に落ちた上で行う

嫉妬や拗ねは

 

 

もはや

ただの

 

 

神々の、遊び。。。。笑

 

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すごいなー!!♡

きれいだな〜♡

かっこいいな。。。♡

かわいいな〜♡

うっとり〜♡

 

ださいー。

かっこわるいー。

きもちわるいー。

むー(`・ω・´)

 

って

感じられたら、それは

 

相手のものでもあり

感じた人のものでもあり、ですよね。

 

 

私も

自分の感度をもっと上げていこう。

雑多な感覚を、取りにいこう。

どんなに眩しくても

めいいっぱい感度を追いつかせて

自分の心に映していこう。

 

おそらくふるさと。

《行ったことのない場所へ

帰りたい気がした》

 

 

小林直

『もういちどだけあいたい』

の中の一節。

 

えーと

なにかの曲のカップリングです。

アサガオ』かなぁ?

(ぜんぜん違いました。

ミニアルバムの曲でした。。。)

( ´ ▽ ` )

 

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空を見てると

 

あー気持ちいいなー

あー帰りたいなー

 

っていう気持ちになります。

 

なりませんか?

 

私は特に

雲を見てると思います。

 

もくもくの中へ

どーんとダイブして

 

 

あー

帰りたい。

 

 

でも

 

 

今のわたしには

大切な人や大切な場所がたくさんあるから

帰ったっきり、は

ちょっと寂しいかな。

 

 

帰省を、したいんですよね。

生活の拠点はここで

ふるさとはあそこ。

 

行ったり来たり、できたらいいのになぁ

(*⁰▿⁰*)

 

 

 

 《もういちどだけ

かなうなら君にあいたい

 

知らないふりで

すれ違うくらいでいい

 

もういちど だけ》

キラキラ仲間。

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姪っ子♡めいちゃん3歳からのプレゼント。

 

樹脂でできてるキラキラです。

 

彼女はキラキラやハートや

リボンやお花が大好きな女の子。

おもちゃのアクセサリーや宝石を

マイメロディちゃんのペンケースに入れて

持ち歩いています。

じゃらじゃら。

 

 

私の持ってるアクセサリーやらストーンやら

キラキラした小物も

いつも一緒に見て

『かわいー♡きれー♡いいにおいー♡』と

 

目を輝かせています。

 

時々、私のアクセサリーを

あげたりしていたのですが

 

今日は初めて

めいが、自分のキラキラを

私にくれました。

 

『なおちょにあげるの。

みどりの。』と言って

はにかみながら

くれました。

 

 

めいが、自分のキラキラを

誰かにあげたのは初めてだそうです。

 

 

(えへん)

 

 

自分の大切にしているモノを

誰かにあげることは

手元から、そのモノがなくなるかわりに

実は

《なにか》が

自分にちゃんと

戻ってくるんだよ

戻ってきた時の方が

なぜか

《なにか》がたくさんになってたりするんだよ

っていうようなことを

思い出させてもらいました。

 

 

戻ってきた、たくさんの《なにか》は

確実に、胸に届く。

概念でも思考でもない、たしかな身体感覚として。

胸のまんなかあたりに。

 

 

それは

うれしい、やさしい、かわいい、いとおしい、あたたかい、なにか。

 

 

目には見えないそれを

あげたり

受けとったりする感覚を

持ち続ける女の子でいてほしいな。

 

 

忘れてしまうことは、あるかもしれないけど

何度でも思い出せばいいね。

必ず思い出せる。

 

 

思い出すためのツールは

たくさんあるよ。

 

 

ていうか

すべてが

そのためのツールなんだと思うよ。

 

 

 

ありがと。めい。

大切なモノをわけてくれて

ありがとう、で、いっぱいです。

私のキラキラ仲間です。

 

いつだって途中。

結果を求めて動きだした過程で

 

 

変化していく

自分の考え方や

心の在り方みたいなものって

 

 

とても大切なものになりますね。

 

 

結果を出す、結果を手に入れる

という経験も

これまで何度かしてきて

 

 

その、どれもが

素晴らしい経験でしたけど

 

 

今の私は

 

 

こういう、過程で得る内側の経験を

ひとつひとつ大切に感じます。

 

 

誰かにうまく説明できることでも

ないんですけど。

 

 

不器用でも、丁寧に。 

焦っても、ゆっくりでも。

 

 

展開されていく景色の中で

 

あるいは、変わらない景色の中で

 

 

ただ飲まれていくのではなく

先を見るのではなく

 

 

目や耳じゃなくて

 

 

自分のこの心は

 

 

何を、見てるのか。

何を、聞いてるのか。

 

 

それから

 

 

何を、見たいのか。聞きたいのか。

 

 

すべての感情と感覚を指針にして

 

 

丁寧に

丁寧に

丁寧に

そしてかなり地味に 笑

 

 

 

選んでいく日々です。

 

 

 

 

え?

 

 

 

結果もほしいよ?( ´∀`)

 

ともだち 新しい世界。

このブログのいちばん最初の記事。

 

“ともだち”

http://nnnaooo.hatenablog.com/entry/2016/06/23/000743

 

 “ともだち その後”

http://nnnaooo.hatenablog.com/entry/2016/07/12/233243

 

に、続く

第三弾です 笑笑

 

 

中学生だった私のともだちは

高校に進学しました。

 

 

クラスに友達が出来たそうです。

先生に掛け合って軽音部を発足させて

彼女がボーカルを担当するそうです。

朝が早いのが辛いそうです。

放課後に友達と寄り道したりしてるそうです。

ちょっと気になる、かっこいい男の子がいるそうです。

 

学校の話を

たくさんしてくれるようになりました。

笑い声が大きくなって

私は、びっくりしそうになります 笑

 

 

笑顔も、大きくなりました^ ^

 

 

 

もちろん、学校なんてすべてではないですよね。

ただ、それは大人になった自分が言えることで

学生のころの私は

学校が、友達関係が、社会のすべてでした。

 

 

 

だから出来れば彼女にも

“くだらないことでいっぱい笑える世界も、見てほしいな。”

心の中で

ひそかに

勝手に

望んでいました。

 

 

 

彼女の笑顔は

私の胸の真ん中を

あったかくしてくれます。

 

 

彼女の世界が

カラフルに広がっていくさまを

いつまでも見ていくことは、できないだろうけど

 

 

今の笑顔を、私は忘れないと思います。

私が忘れても

私のどこかに記憶されたと思う。

 

 

そのくらい

嬉しい瞬間でした。

 

 

 

とりあえず

 

 

また遊ぼうな!!